Dec 22, 2013

「登れぬ山などない・・・・お前こそ王となる」

待て 登れぬ山などない
わしの言葉を信じるのだ
聞けよ

お前こそ王となる
父も祖父もお前の中に
生きている 星たちが
そのお前を照らすのだ
このセリフ(歌詞)をご存知ですか??

ライオンキングの歌詞の一部だそうです。

一度見ていたのですが、なんとなく思い出しました。
シンバが落ち込んでいたときに、 父ムサファが亡霊となってでてきて歌いかけるシーンです。

少し飛んでしまうのですが、「グリード」の最後に、ジャッキー・フォックスが自社のGCがチャプター・イレブンに陥り、CROとしてのプレッシャーに潰されそうになったときにこの歌を聞いた場面があります。

そして、アメリカとシンバを被らせるという。
実際の世界もそうですが、金融危機時のアメリカの混乱と落ちぶれは半端なかったようです。
確かに、私も外で見ていてもアメリカにたいする心象はかなりネガティブに変化しました。
これまでの経済の牽引・旗振り役から、強欲者というようなイメージが少なからずついた感じになりました。

その歌を聞いたジャッキーは言うのです、

「欲望ではなく、矜持こそがアメリカンスピリットなのだ」

と。

なるほどと思わされます。
ジャッキーの上司であった、ジミー・クランシーのあだ名は「ブル・ジミー」。
大胆という意味なのでしょうが、裏をかえせば突進しかしらないとうことです。

「負ける」というカードはプレーには存在しないということです。

吉田茂の言葉に(ドラマのタイトルにもなりましたが)、

「負けて勝つ」

という言葉があります。

これは、日本経済の戦後の復興を表すことばになりました。
戦争に負けたが、それを勝利につなげるとういのです。
彼はそれを見ませんでしたが、80年代の日本経済は世界の覇者でした。

しかし、その後の「失われた20年」で、勝ち方を忘れてしまったようにも見えますが。

それはさておき。
アメリカ人の往生際の悪さは、ある意味爽快にも感じるものがあります。

簡単には非を認めないとういのは、結構知れていることでもあります。

どれが良いということではないことは理解して頂きたいのですが、

逆にその気質をどのように扱えば良いのかというヒントをこの本は与えてくれたように感じました。

鷲津は2つのケースで、二つの方法を取りました。
一つはGC。ここは徹底的に行き詰まらせた後に、叩くという方法です。
彼らがいかんとする道を一つ一つつぶし、チェックメイトということです。
「突っ走る」という気質を利用した方法です。

もう一つはAD。
ここは、アメリカ人の愛国心を上手に利用します。
「ジャップになんか」という気持ちを煽り、それを利用して負けたふりをする。
死んだふりをして、実は自分の触手は残している。
そして、隠れ蓑を通じて買収を成功させるのです。

どちらも、彼らのそのような気質を理解していたからできたわけです。

私もこれからは少し気をつけて観察してみようと思います。

もちろん、叩き潰すなんてことはしませんよ。wwwww






Dec 21, 2013

「採用基準」× ミニストリー 的な・・・

久々のブックレビューです。
(「グリード」シリーズはまた後ほど www)


「ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶ  ベスト経営書2013の結果発表」
でも2位に選ばれました、伊賀泰代氏の本「採用基準」。

沖縄ですら(ビジネス書とは関係が薄い書店ばかりなので・・・)、この本をよく見かけていたので、本に関しては反ミーハーな私は抵抗感バリバリでした。
ただ、社会人二年目でなんとなくキャリアステップについて考えだしていたので、「こんなに評判名なら」ということで、購入してみました。

結論。

「この本読まなきゃ、損をする」

というレベルです。
こんな、ビジネス書に出会ったのは、本当に久しぶりです。
以下、社会人二年目の生意気小僧がめっちゃ生意気にもこれまでの経験を踏まえて、感想を綴ります。
そして、下段にはこれとミニストリーの関係についても記述してみました。

この本の著者の伊賀泰代さんですが、一橋卒(親近感)→日興証券(女性で?)→UCバークレーでMBA(まじ!?)→マッキンゼー(ここでエンゲージメント・マネージャーまで上がった後、採用マネージャーへと転身)という経歴だそうです。
彼女の時代の一橋とか、全学の1割くらいしか女性がいなかったんじゃないかというレベルなので、私とはまったく異次元のレベルにいるんでしょう。

ただ、この本のストーリーは非常に地に足の着いたものでした。
「採用基準」ということなので、彼女のマッキンゼーでの採用経験からの経験が多く含まれた内容となっていて、どのような人材を採用していたかが主なテーマとなっています。
ただ読んで気付くのは、「採用基準」という『採用』に特化している本ではなく、どちらかというと「日本人とリーダーシップ」といった内容になっています。

「実はマッキンゼーが求める人材は、今の日本社会が必要としている人材とはまったく同じです。まさか多くの人が『これからの日本には地頭のよい人が必要だ』と考えているわけではないでしょう。同様にマッキンゼーも、地頭が良ければ採用したい、と考えているわけではないのです。」

このように、マッキンゼーが欲しいと思っている人材は、これからの日本にも求められる人材という前提にたっての話になっています。なので、マッキンゼーの話ばかりですが(本人もあとがきにそれに関して言及して、だからといってマッキンゼーが完璧ではないということも言っています・・)、それが引いては社会に求められる人材だと。

日本では、本来、成果目標を問うべき状況であるにも関わらず、その目標が明確にされないために、みんなが“和”を優先し、誰もリーダーシップを発揮しないことがよく起こります。
分かりやすい日本の「ことなかれ主義」(FacebookでもMiyukiさんにコメント頂きましたが)の代表です。
実際、あるんです。

他部署の判断に口を出さない人たちは、組織の和や組織の秩序を、ビジネス上の利益最大化という成果目標より優先しています。こういった職場では、リーダーは必要とされません。全員が空気を読んで、「他部署のことは他部署の人に任せておこう」という思考停止を選択するからです。
ということが。

ここの決定的な問題点は「思考停止」ということなのではないでしょうか。無論、そこで問題を認識しているから、そこまでは思考が及んでいるわけです。ただ、それ以上踏み込もうとする思考がない。これが自分にも当てはまり、かなりドキッとしました。
リーダーには与えられた数値を達成するという単純な仕事(これはマネージャーの仕事)を超えたところにある、「より高いゴールを設定する」ということが求められると。
自分が二年目になって、ひと通り仕事を覚えてしまって倦怠感を感じることがあったのですが、それは自分が与えられた仕事をただ実行するエクスキューターになっていたからなのでしょう。

組織も個人も、ただただ上からの変化に対応していくだけになってしまうと、レベルアップは望めないということです。
成長する組織・個人は「さらなる高み」を目指していないといけない。
それには、上からの変化、周りの変化も利用してもよいのではないでしょうか。
とにかく、今年の反省は「自分の仕事を覚える」という目標達成に満足してしまったことです。

成長の頭打ち感を感じながら働いている人は、その間、チャレンジングな仕事をしていません。必死に挑戦しなければ達成できない仕事ではなく、粛々とこなしていばできるレベルの仕事をしています。こういう仕事を一定期間以上続けることは、さまざまな形でその人の可能性を減じてしまいます。

では、目指すべき高みとはどのようなものでしょうか。
目標を掲げ、先頭に立って進み、良く道の要所要所で決断を下し、常にメンバーに語り続ける、これがリーダーに求められている四つのタスクなのです。
目標を掲げる・決断を下すということは、なんとなく受け入れやすいものでした。しかし、「先頭に立って進む」「常にメンバーに語り続ける」ということは、あまりリーダーシップと結びつかないのではないでしょうか。とくに後者の方は。

組織に必要なものはビジョンなのではないでしょうか。
トップダウンとボトムアップは二律背反のように思われるかも知れないですが、実は前者があるから後者が存在すると思うのです。
もしも、ボトムアップがある組織は、その環境をトップダウンで作り出しているからなのではないか。トップダウンがないボトムアップはただの反抗的集団と思われてもしょうがないのかと。

それでも、どうしてもリーダーシップは私とは程遠いように感じていました。しかし、伊賀氏はそこにも斬り込んでくれています。
チーム内にリーダーが複数いることは決してマイナスではありません。むしろ全メンバーがリーダーとしての自覚をもって活動するチームは、「一人がリーダー、その他はみんなフォロアー」というチームより、明らかに高いせいかを出すことができます。
私にかけていたのは、自分にもリーダーシップが必要だということだったのです。
これまで組織と個人を並列に書いているのは、そのためです。

そして、そのリーダーシップの訓練の場は、あらゆる場面で求められいるのだと。
伊賀氏が挙げたのは、電車事故によってできたタクシーへの列です。
多くの人が時間に遅れてタクシーを待っているような状況でも、秩序正しく一人一人タクシーに乗って行く。これは、日本人の素晴らしいところと良く言われます。確かにそうでしょう。しかし、そこで一人が「私は〇〇方面へ行きます。一緒に乗りたい方、いらっしゃいますか?」と声をかけられれば、料金も安くなり、待ち時間を節約でき、少しでも早く目的地にと着することに役立つのですが、誰もそれを行わないということです。

「(;・∀・)ハッ」とさせられました。
本当にそのとおりなのだと。
現状に満足して、それ以上を求めず、気づいても合理化して勝手納得している自分。
それでは何もよくならないし、変化しません。

リーダーシップは、これからの世界を生き抜く人たちのパスポートです。組織とは、所属し、守ってもらうものではなく、率いるものになるのです。

とういことを自覚し続けねばならないと。


そして、ミニストリーにこの「リーダーシップ論」を誤解を恐れず持ち込んでみます。

ミニストリーの現場においてもリーダーシップは必要なのではないかと。
勿論、「従う」ということは大切であり、ミニストリーにおいてはキーとなることです。
しかし、「従う」ことと「リーダーシップ」は両立すべきなのです。

この本でもリーダーはただグイグイ率いるのではなく、他人の意見が正しければ目的達成のためにそれを採用することができる人だと述べられています。

聖書に従ったミニストリーは、必ず従順を求められます。
ただ、聖書言う信仰が盲目的信仰なのではないのと同様に、この従順も絶対服従ではないということです。(此処での従順は人との関係の中での話しに限定)

例えば、ふとしたことで「こうしたらもっと良いのに」とか「これができればもっと効果的にミニストリーできるんじゃないか」と気づいたことがある人は多いのではないでしょうか。

そこで、それについて何か行動を起こせるリーダーシップが発揮されるのです。
私も「でもリーダーの人が決めてくれるはずだから、黙っておこう」と思っていることが多いのです。そして、それを従順になっていると決めつけていました。

しかし、そうのなのではなく。「果たして本当にそうするべきなのか」「では、どのような行動が取れるのか」「どうアプローチすると良いのか」ということを、祈り・考え抜くことが求められているように思います。

全てをリーダーというタイトルの付いたごく限られたグループに任せてしまう教会は危ないように感じます。
みなが、オウナーシップをもち、「自分がミニストリーに何ができるのだろう」と考えているミニストリーはもっと成長すると思います。
無論、そこには今続けていることを守るということ。特に、聖書の教えはそれなのですが、保守的になるべき部分は間違えなく有ります。

また「常にメンバーに語り続ける」ということは、ビジョンを伝えるリーダーなのでしょう。最近読んだ使徒の働き2章でペテロが引用するヨエルの預言『青年は幻を見て、老人は夢をみる』について、J.C.モルガン氏は「我々が恐れるべきは聖霊の導きに鈍感になり、幻も夢も見れなくなることだ」と述べていました。

その通りで、ミニストリーにはビジョンが必要なのだと。
それして、それを私たちはともに祈り、みことばを学ぶ中で求めていく必要があるのだと感じました。

仕事+ミニストリー においてもリーダーシップ、本当に身につけたいスキルです。



Dec 7, 2013

Thoughts on Do in Rome as the Romans do.

Hello there.

I guess it's about a time to brush up my English. I haven't studied or trained myself for long time.

So, this post will be my rehab post in English. Bear with me, if you keep on reading ;)


In last post, I wrote about a book called "Greed" written my Jin Mayama who is my most favorite author.

The book was actually No.4 of the series called "Hagetaka".

It is about a banker named Washizu, who used be a partner of KKL (which should be KKR in real world.).

Although the book was about Washizu completing his mission during Lehman Shock and financial crisis, one of the big theme to me was "What is American like?".

I've been thinking about that for quite a while. I know this topic has been talked and discussed over by many others and maybe even you know well more than I do.
But still I wanted to write how I think now and by doing so I can organize my mind.

Here is the phrase still gets my mind thinking.

"A Japanese may want to become American. But it is impossible to understand the physiology of that multiracial nation. To say that the driving force of the American Dream is greed not ironical avarice at all. The United States professes itself to be a country of the freedom, but they need to defeat another person and greedily running the race to survive it simply because of the freedom. It is the United States. However, they may not live if they do something like that in Japan."

I remember the first culture shock that I had with American.
It was when we were playing the video game.
Not everyone could play at same time, so we took turns.
I wasn't good at the game, so I was little hesitant to play it in fear of causing trouble to my team.
I wanted to play but I couldn't say "yes" right away when they asked if I wanted to.
I ended up not playing at all, simply because I could not assert and say that I wanted to.

Another occasion, (this might be special but still do) is when my church had "retreat", but men did not like that name. They said they never retreat. So the name ended up being "excursion".


The real picture in the book is derived from the fact that those "CEO" could not admit their company is about to collapse and causing the big mess in the market.

I'm currently reading the book "TOO BIG TO FAIL" by Andrew Ross Sorkin.
It amazes me how many times the top, especially Richard Fuld, could not face the reality and made himself believe that his company can last. (that did not happen in the end...)

Yes, I believe to some degree that the mind of those people were so greedy that they did not care others interest and strive only to increase or at least keep their money.

I know many kind and generous Americans. They are very nice and have a good heart.
Still,  I can see the "physiology" Mashizu referred to.

Here I am not making the case that Americans are not good but rather making my personal observation.

The last part of the statement is  "it is the United States. However, they may not live if they do something like that in Japan."

Recently, I see more books about "the ability of listening and elicit others' views" in book stores. That, I think, shows how much we Japanese put emphasis on listening and see is as a skill.
Actually one of the biggest lesson I learned during my college life in Tokyo; fully immersing myself in Japanese culture, was the importance of listening to others.

It is more than cliche that Japanese would not say their true opinion easily.

As a matter of fact, it is not difficult to understand there is a great cultural difference. And one way that works in its homeland would not work in another.

I understand that I need to change my mindset when I work with Americans so that things would so smooth.
But, I often get frustrated because of this cultural difference.

I really understand the way American takes is usually rational and effective.

Sadly, because of its rationality and effectiveness many think it is the way that works everywhere in the world. I've seen that happening quite a bit times.
Some have asked me why, I would simply answer that is just Japanese way. (Of course I can't blame everything for its culture since some are due to their personality.)
But that is not true.

Yet, I understand why they act and say. They grew up in the culture of survival. They need to win to be alive. They should not admit their fault easily. They must say if they think it right.

The way of thinking is deeply rooted in them. It is not easy to put it aside.

So, we cannot say and judge which either is good or bad.
It is simply their culture.

But still I think the important thing is this.

"Do in Rome as the Romans do."

It is a such a huge challenge to me.

Difficult part is switching.
Every day, I work with Japanese so I need to try to think our way as Japanese.
I need to "try" because I am well Americanized and can't be the way there.

But, other occasion, my mind needs to be switched to American so that I can work with and understand them better.

It is a good struggle.

With Japanese I get to learn how to listen and draw out their true opinions. With Americans, I get to practice to assert and speak up when I need to.

I'd love to hear what you think. Please talk to me or comment if you can.

Nov 17, 2013

「グリード」真山仁 (初稿)



待ちに待った、真山仁「ハゲタカ」シリーズ最新刊です。

いや、一ヶ月前には予約までして、到着予定日に届かないとクロネコさんに電話までして、(オンラインで配送状況は分かっているのに)何で遅れているのかを聞いてしまう程、楽しみに待っていました。

この本は上下巻に分かれているのだが、ここではまとめて一つの本として扱います。

今回の投稿では第一印象を綴りたいと思います。というのも、基本的に好きな本は一度通し読み(通読)した後に、読み込む(熟読)するようにしているからです。なので、細かいところの考察や、振り返りも今後進めていくつもりです。

さて、この本は鷲津が北村(今回のメインキャラクターの一人)にインタビューを受けている場面から始まります。

そこで、日本がかつて社会主義国家と揶揄されていた状況から、資本主義国家へと移行していること。その過程で、格差、拝金主義的な考え等が広がっていることについてのコメントを求められる。(日本人のアメリカ人化)

それに対し鷲津は
「日本人は、アメリカ人になりたいと思っているかも知れません。でも、あの多民族国家の生理を理解するのは無理です。強欲がアメリカンドリームの原動力というのは、皮肉でも何でもないんですよ。アメリカは自由の国を標榜していますが、自由だからこそ、生き抜くためには他人を蹴落とし、貪欲に突っ走るしか生き残れないんです。それが、アメリカです。しかし、日本でそんなことをしたら、生きて行けないでしょう」
と述べる。

この、「アメリカ人の生理」が本作の大きなテーマの一つであった。

シリーズの第1・2作では、典型的日本企業の弱さ・崩壊を扱っていた。
そこに、鷲津が風穴を開け、今の日本のあり方を問いかけていたように感じた。

今回の舞台はアメリカ、後にリーマン危機と呼ばれる投資銀行の破綻による、世界不況の真っ只中である。
その危機の根本的な原因を、アメリカという国・民族に見いだしているように感じた。

確かに、私の中にもアメリカへの尊敬であったり、憧れの様なものがある。
それは、ある意味でアメリカが公正であり、自由だというイメージから来ているのだと思う。(若しくは、第二次大戦後の日本の再興を助けてくれたパートナーという面もあるのかもしれないが。)

ただ、以前に少し勉強した、リーマン危機によって顕在化したマネー資本主義的な暴走を見ると、大きな失望を覚えた。
なので、今回でアメリカに対するイメージが転換したかというとそうではない。
しかし、本作を読むことで、「アメリカ人の生理」を知り、マネーの暴走をもたらした人々(これはアメリカ人に限ったことではないが、彼らがこの考えを輸出した主役であると考え)の考えを知ることができたように感じる。

なぜ、CDSを用いた全くもって利益相反行為に当たる取引や、CDO等の非常に専門的かつ複雑な証券化商品の存在などができあがったのか。そこには「アメリカンドリーム」という人々を突き動かすものがある。

そもそも、CDO事態は特に悪い商品とか、陰謀めいたものではない。
ただ、これが作られる過程で、色々な闇が組み込めるようになっていたことが問題なのだろう。
その闇というのが、サブプライムなのである。

低所得者にもマイホームをということで、普通の貸付は受けられないような人々が、このローンを組めば家を買えるだけの資金を調達できるのだから、驚かざるをえない。
なぜ、人々はこんな美味しい話だけの怪しいものを買ってしまったのか。(ローンを組んだのか)
それは、アメリカ人の持つ豊かさへの羨望なのだと思う。

「マイホーム」といえば日本でもある程度の経済的レベルのベンチマークである。しかし、堅実な日本人は、ある意味(私なんかの)経済的に難しいと自分で思っている人は、諦めているパターンが多いのではないか。
だが、アメリカンドリームを追っているアメリカ人には、目の前に家が持てるチャンス、これから住宅価格が上昇し続けるというセールストークがあれば飛びついてしまうのである。あたかも自分がそれに見合う経済的基盤を手に入れたかのようにだ。

これは究極的には個人の決断の問題なのだろう。
しかし、この決断を促す社会的なプレッシャーのようなものがあったことは否定出来ない事実だと思う。

そして、鷲津のことばにもあるように「生き残る」社会のアメリカなのだから、彼らを責めることは的はずれなのかも知れない・・・・・


個人的に、アメリカ人を相手にすることが多いが、この考えは彼らの行動の背景についてなんとなく納得されられる部分があった。
日本人には当然のようにある、思いやり(そして、人の発言の背後にある意味を読み取ろうとする努力)、周りを意識した言動などが正直にいうと余り無い。

別にそれが悪いということではない。ただ、個人的に理解できない理由が、彼らが育ってきた環境に少なからずあるということだ。

若干疲れることではあるが、それを踏まえた上で、どう付き合っていくのかというのは、今の私の課題であって、中々上手い方法が見えない。
ビジネスライクなものならまだしも、個人的な付き合いであったり、ミニストリーの場面とかは正直きついものもある。
しかし、そこは聖書が基盤なのだから、そこにもどって主が何を期待しているのかを求めていきたい。

以上、今回は思いつくことをカタカタを綴りました。

今後、もっとテーマを絞って考察していきたいです。

Sep 29, 2013

「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」「ロスジェネの逆襲」池井戸潤

今回は3冊まとめてのブックレビューを書きます。

もはや、言わずと知れたドラマ「半沢直樹」の原作です。

因みに、今回放送されたドラマは最初の2冊「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」が原作となっています。
(ニュースを見ていると、第三作もドラマor映画になるようですね。(^^)

まずは、初めの2作品。
ドラマでベーシックな部分を掴んでいたので、割りと簡単に読めました。

そして、ドラマがかなり原作に忠実であったことが分かり、とても驚きました。

大きな違いといえば、半沢の同期が三人衆ではなく、四人衆であること。実家のネジ工場の融資を引き上げたのが、大和田常務ではないということくらいでしょうか。
(あ、最後の場面はかなり異なってましたね。(;・∀・))
後は概して、原作通りでした。

ドラマでもそうでしたが、この作品に惹かれる理由は、主人公半沢の歯に衣着せぬ物言いと、正義を遂行、悪を退治する姿なのではないでしょうか。
私も、そういった部分はすきです。ただ単にハッピーエンド好きと言われればそれまでですが・・・・

しかし、もう一つの魅力は、「サラリーマンって何なんだ」という問題的をする部分ではないでしょうか。
銀行というかなり特殊なセッティングではあるものの、上司と部下、人事と自分の希望、組織と個人という様々なよそが混ざり合いながらも、読者には中々客観視できない部分を見せているように感じます。

無論、私のような社会人二年目の小僧が、「すごい分かるよ!」なんて作品が少々ドラマタイズされていることを差し引いても言えません。
しかし、仕事に対する姿勢を見直す機会になったのかなとは思います。

ただ、私としてはもうちょっと銀行と金融業界を取り上げたのだから、もうちょっと金融ネタがあって勉強できると良いかななんて思いました。

そして、まだドラマ化されていない三作目「ロスジェネの逆襲」です。

これは、ヒットでした。

M&Aが仕組まれたこともあり、金融ネタも入っているだけでなく、前2作品では見えなかったものが見えるようになった作品です。

衝撃的な終わり方だった「花のバブル組」からの続きで、出向先での話になっています。

M&Aに関しては、やはり真山仁のハゲタカシリーズの方が詳細に書かれていて、スキームもとても興味深く勉強になるのですが、M&Aだけではなく、そこに池井戸作品にある、サラリーマンの正義という要素が入っていることが本作品を興味深いものとさせているのだと思います。

半沢が銀行一筋、しかも営業畑でキャリアを積んできたことを考えると、今回のような見事な買収防衛策を思いつくとは中々考えにくいですが、そこはヒーローなのでそうなるものはそうなのだと。

ただ、2点、これら三作品をまとめ挙げるような点に気付きました。

まずは、サラリーマンの生き様です。
これは、人としてではなく、サラリーマンという組織人という限られた世界での話です。
(仕事=人生ではないと個人的には信じていますが、やはり人生の大きな部分を占めるものですから、完全に切り離すことはできないのでしょうけれど。。。)

「人事が恐くてサラリーマンが務まるか」
という半沢直樹の言葉に集約されています。
一体仕事は何のためにやっているものなのか。人事という、ある種ブラックボックス化されている世界。その不明確さはやはり、ある程度怖い物があります。
しかし、人事と仕事を対比させることで、仕事の目的を問いかけているのではないでしょうか。

伊勢島ホテルのときにちらっと見えましたが、今回の証券会社ではアドバイザリーという本当に顧客第一が問われる仕事を与えることにより、半沢の仕事に対する姿勢・理念を上手く抽出して見せてくれた気がします。

その仕事を人事のために利用した登場人物がいたこともあり、半沢の正義感が全面に押し出されていました。
それが、このシリーズを痛快なものにした理由なのでしょう。


第二には、世代間ギャップです。
このシリーズには、「バブル組」と「ロスジェネ(ロスト・ジェネレーションの略)」、そして「団塊の世代」という3つの世代間のギャップが書かれている。
このことは、ロスジェネを読んでやっと気付きました。

バブルを盛り上げるだけ盛り上げ、尻拭いはバブル世代にさせるという、バブル世代がもっている団塊世代への嫌悪感。
バブルというだけで楽な人生を送ってきた反動で、不条理な世の中で生きるハメになったと考えるロスジェネ。

この世代間ギャップ、見えないながらも存在するものがとても上手く書かれている。
確かに、メディアがそうなのかは知らないが、やたら各世代に名前をつけたがるのは、古今東西同じように見える。

因みに、私の世代は「ゆとり世代」と「さとり世代」の過渡期くらいの世代なのでしょう。まあ、名前の通りあって、あまり世代間ギャップを意識して生きていない世代だと思います。

それだけに、今回見せられた世代間ギャップはとても新鮮でした。

ただ、半沢の訴えかけは、「世の中の矛盾や理不尽と戦え」という、そういった世代や組織のせいにして生きて行くのではなく、自分の力でそれは変えていけというものでした。

私ももしかすると、これから社会や会社の不条理・理不尽に直面するのかもしれません。

そのとき、半沢みたいに思えるのか。思いたいものです。

少し脱線しますが、今日ちらっと本やで読んだのですが、「世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか」という本のなかに、ハーバード・ロースクールのトップ学生のインタビューがありました。マッキンゼーを辞め、ロースクール入り人だということです。マッキンゼーでも、ロースクールでも仕事・勉強量は圧倒的な量があると。その中で、平静を保つため、余裕を持てる理由は何かと問われた彼は『信仰心』だと答えました。

クリスチャンとしての信仰心が一番に彼を支えているのだと。
神は全てを見通している。肩書きや、成果、表面的な物で自分の価値が決まるわけではない。それを知っていることが、彼を支えているのだと言っていました。

私も彼のように、信仰によって(勿論、そこから生まれる成果によってでもですが)違いを作り出す人になりたいです。

それが、「どこに行かされるかは知らないが、行ったところでベストを尽くす」という半沢の言葉の私なりの適応です。

神がコントロールを握っているのだという確信と、そこには必ず目的があるという自覚によってクリスチャンとしてサラリーマンを生きたいと改めて思いました。

Sep 24, 2013

「沈黙の艦隊」から考える憲法9条(その1)

最近、集団的自衛権についての議論が大きく取り合えられています。

と同時に、勿論ですが、憲法9条も取り上げられるわけです。(こっちの議論はもっと大きな扱いでいいと思うが、政府の思惑が感じられるよね。過小報道的な)

私は、この日本にとっての戦争だとか、憲法9条、または自衛権になると、一つの漫画がベンチマークというか、自分にとっての議論の出発点になっています。

それは、かわぐちかいじ の 「沈黙の艦隊」という作品です。


ストーリーは抜きにしますが、かなり深い作品です。
(原子力潜水艦「やまと」とその艦長海江田四郎の話です。)

作品全体が、国家とは、安全保障とは、核兵器とはという多様なテーマについて語っています。
ここでは、作品全体のストーリーは省き、私にとって特に印象的なシーンから、徒然と自分の所感を書いていきます。飽きたらごめんなさい。
(一応の説明はここからWikiにお願いしました。笑)

まずは、「専守防衛」とは何かです。
東京湾を目指すやまとに対して、第三艦隊を東京湾に派遣し、日本との接触をアメリカが阻止しようとする場面です。
やまとと独自に友好条約を結びたい日本は、第2護衛艦隊を派遣します。
しかし、アメリカは飽くまでやまと撃沈作戦を続行します。護衛艦隊はアメリカの攻撃にさらされながらも、飽くまで「専守防衛」に徹し、ミサイルを撃ち落としても打ち返さない姿勢を貫き通します。
そこで、潜水艦たつなみの艦長深町は、日本の領海にて勝手に作戦を遂行する相手に、『好き勝手に他国を攻撃し殺戮するつもりなら同量のリスクを負わねばならんことを相手に教えてやろうじゃねーか、それが“防衛力”の意味だ!!』と言い放ち、魚雷を発射、アメリカ潜水艦を撃沈する。
この言葉は少し強烈だが、個別的自衛権を上手く表している。
(海江田も自衛戦闘について尋ねられ「相手からの攻撃があって初めて成り立つ戦闘」と答えている。)

正直、「個別的自衛権というのでは、何も出来ないじゃないか」という雰囲気があるときに、集団的自衛権肯定の気運が高まるのではないかと思う。

個別的自衛権の範囲内でも、実はできることはかなり大きいということを、この事件は伝えている。東京湾での戦闘を我々が想像することは、とても難しいものの、ありえる話であることは間違いない。

これだけでも、有事に際して個別的自衛権の範囲内で、どれだけの行動が取れるかが分かる。(「専守防衛」は抜きにしてだが・・・・)

さて、話を集団的自衛権に戻すが、ここで大切なことは、日本の自衛隊の意義なのだと思う。純粋に日本だけを守るためにあるなら、無論、個別的自衛権のみで十分なわけである。しかし、国際安全保障への貢献等へも積極的に寄与するというのであれば、個別的自衛権では不足している。
つまりは、国民が自衛隊にどのような期待をもっているのか、担わせるのかなのだろう。

アメリカは未だに「世界の警察」としての軍隊を維持している。(それも債務削減のために予算が削られて、危うくなっているが・・・)

自衛権は、今の国際情勢においては、必要不可欠なものだろう。ここでは、やはり現実主義にならざるを得ない。しかし、集団的自衛権は「不可欠」ではないのではないか。
(ベネット大統領の徹底した現実主義、「アメリカに現実を無視した決定はありえない。」という言葉に代表されるように、政治は現実から語られるべき。)

やまとが示した「撃たれない限り、撃たない。」という姿勢は、日本が取るべき方向性ではないか。先制攻撃をした側の勝利に終わった戦争は、この現代史においては見当たらないように思える。

私個人は、集団的自衛権は必要ないと思う。
ただ、憲法9条を改正し、今の実態に合わせることは必要だろう。
そして、法律によって「自衛権」「自衛戦争」をしっかりと定義付けてあげるべきだと思う。

マスコミに言いたいのは、何のための自衛隊か、何のための集団的自衛権なのかをもっと報道して欲しい。それがないと、結局だれが賛成で誰が反対かという、政局闘争に終始してしまうからだ。この議論は(作品中ではそうなったが)、政権再編にもなりうるほどのものだと思っている。

あと、最後に。
半沢直樹の「人の善意は信じるが、やられたら倍返し!」も個別的自衛権だなと思いました。'`,、('∀`) '`,、


Aug 21, 2013

Morning Bible Study

It has been almost half year, since the men's morning Bible Study started.
And I am loving the time.
朝の男性のバイブル・スタディが始まってから半年くらいになりますが、この時間が私のお気に入りの一つになっています。

We meet at 6:00am at Stratbucks on main street called route 58.
There, we read Bible, pray and encourage one another.
毎週6時(朝)に国道沿いのスターバックスで集まり、聖書を読み励まし合っています。

It's usually little more than half an hour, relatively short as Bible Study, but the time is really rich.
I love how guys there, older brother in faith, always talk about the goodness of God.
We are going through Psalms, and encouraging to pray the chapter of the Psalm we read there throughout the week and share the experience you get.
大体30分程しかいないのですが、とても濃い時間になっています。
そこに来る人たちは(こんな早朝に来るだけでもそうなのですが)、信仰の兄たちで、いつも神の良さについて離してくれます。
今は、詩篇を一章ずづよみ、それをその一週間の祈りとするようにし、翌週にその経験を分かち合うことにしています。

One of the many things, why I like this gathering is that all of us (it's my day-off today, so I'm exempt yet..) go to work afterwards.
So, I feel like that we are there before the battle; arming up, checking and motivating one another to fight a good fight at the battle field that is our work place (it can be home, among friends ..... etc too)
まず、この集まりが好きな理由の一つに、集まる人たちが皆(私は今日は休みなので例外ですが)、その後に仕事に行くということです。職場はクリスチャンにとってはある意味、戦いの場ですから。
なので、「これから戦場へいくぞ」という感覚があるというか、お互いにチェックし合い、強め合い、励まし合ってから戦いに行くという感覚が共有できている気がするのです。

Second, I love it because we focus more on God's goodness.
I think, a lot of times, as we live in world, we see injustice, evildoers prospering, sometimes Christians dragged by the worldly standards. Then, we talk about how wrong and bad the people and the world is going, and how they really should act.
またもう一つここで挙げたいのは、そこでは神の良さが強調されることです。
世の中で生きていると、不公平、不平等(職場だと人事とかでしょうか)、時にはクリスチャンという人が相応しくないことをやっていたりという、見たくもないことを目にします。そして、それがどうあるべきか、どう正されるべきかという話に、バイブル・スタディの場でも流れてしまうことがあります。

Of course, those can be true and needs to be discussed.
But, I find myself a little frustrated, when we just take a lot time pointing out and talking about what sin we need to repent and how we should act...etc, because what I really want to see and talk about it the Glorious works of Christ and Who God is.
無論、それらのことは言及され、どうあるべきか学ぶべきです。
ただ、私は時々、そういった会話のなかでフラストレーションを覚えることがあるのです。というのも、話が終始、「ダメ、ダメ、ダメ」といった感じでネガティブなことしかなくなるからです。
本当に知りたい、見たいのはそこにキリストがどう働かれるか、働かれたかなのです。
それが励ましにつながるのです。

At men's morning Bible Study, these men share, talk about and encourage with how the Psalm teaches us about God, Who He is and His faithfulness and glory, and they are encouraged by them. and This is very encouraging to me.
朝のバイブル・スタディでは、詩篇を読み、そこが教えてくれる神の性質、神の誠実さ、そしてそこから受ける励ましについてシェアします。それは本当に私にとって大きな励ましになっています。

It takes a commitment to come such an early morning. But I, I think other guys as well, believe the time is worth it.
こんな朝早くにくるのはコミットメントがないとできないことですが、彼らがそうすることにも励まされますし、それだけの価値があると思います。

I hope to share how God is speaking to me at the bible study sometimes.
今後、この時間からのことをシェアできればと思っています。ではでは


And let us consider one another in order to stir up love and good works, not forsaking the assembling of ourselves together, as is the manner of some, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching. 
互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近付いているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 

long time ago, but I only found this one.....

 

Jul 31, 2013

Place of quietness


I love ocean.
Well, I am not really outgoing person and likes to stay inside and read.
But, I still like seeing and going to see sunset and just chill by sea.

It had been a while. I used to go to beach or seawall to see sunset on my way home from work. But, it had been a little busy and I wasn't able to do it.

Finally, this past week, the work slowed down and enable me to leave office early enough to catch a sunset.

It was really refreshing.
I walked and thought through my life and current situation.
Praying and meditating about the things God has showing me or what He wants me to do.

I think when we gaze at the beauty of the creation, we cannot help fix eyes on the Creator.

The earth is the Lord’s, and all its fullness,
The world and those who dwell therein.

Psalm24:1

「会社蘇生」高杉良


そろそろ、金融系以外のものにも挑戦してみたいと思い購入。
(Amazonで見つけました。。。)

時代は昭和60年代、会社更生法が表舞台に出てき始めた頃かと思います。
主人公は弁護士である宮野。彼が管財人として小川商会という戦後3番目に大きな負債を抱えて倒産した会社を、更生開始決定・復活まで導くまでのストーリーを描いている。

どうやら、これはかなり実話に基づいた話のよう。
小川商会は大沢商会、管財人は三宅省三、スポンサーとして登場する西北グループは西武グループといった具合に現実とリンクしている。

管財人という言葉すら聞いたことがなかった私には、かなり勉強になった。

素人頭で不思議に思っていたのだが、何故倒産した会社の名前であったり、商品がそれまでと変わらず流通しているのかという疑問が解決できた。
会社更生法適応までの過程は、実務的に見てとても面白い。
宮野と彼のチームの努力、破産という憂き目にあっても頑張り続ける社員の姿は頑張ろうという思いにさせてくれる。
そして、更生開始が決まったときは、読んでいる私までも達成感を感じてしまった。

驚いたのは、弁護士である管財人が経営者(のように)として破産した会社の再生に携わることである。「宮野先生は弁護士にしておくにはもったいない」と作品のセリフにもあるが、まるで敏腕社長のようであった。
また、交渉の場面も勉強になる。駆け引き、会話の運び方等は小説であるのだが、参考にしたいと思うほどである。

と、ここまで良い点だが、残念な点も幾つか。
ストーリー性に乏しい内容にもなっている。人の葛藤であったり、抱えている過去等のしとりした部分がなかった。また、サプライズ的な展開もなく、ビジネスを粛々と遂行しているようにも取れる。
この部分がもっと良ければ、のめり込むこともできたのかもだが。そこまでは至らなかった。

ただ、会社更生法について、簡単に勉強できる本ではあると思う。

Jun 8, 2013

赤い三日月(黒木亮)

ブックレビューです。


またもや黒木亮作品。
もはや、中毒気味かもしれません。ただ、今回のは巨大投資銀行以来の(小説としては)良作だったのではと思います。

主人公は東西銀行の但馬。(東西銀行は東京銀行を模していると思われる。)
ロンドン支社にてトルコ担当として、ソブリン債を主に扱っている。
時代は1990年前後。まだまだ、トルコが発展途上の時期で、さらに湾岸戦争も場面に含まれている。

これまでの黒木作品に見られがちだったのだが、異なるストーリーが展開していて、結局最後まで交差することがないという展開には今回はならなかった。
直接の交差が起こらないものもあるが、最終的に府に落ちる感じに仕上がっている。

国際協調融資団(シ・ローン)の組成から、国家の資金調達、米国の格付機関や財務省、IMFなどが登場し、国際金融というムズカしい話になるが、素人の私でも分かりやすく書かれている。
また、トルコの情景描写が多く含まれており、旅行した気分にもなれる。(と同時に、トルコに行きたくなった)

印象に残った点を幾つか、感想を含めつつ書きたい。

まずは、主人公の但馬への共感があった。同期入行の中でも飛び抜けて出来る行員ではなく、将来を有望されている同期の背中を追うように、または離されないようしがみついていくため、社内評価を気にかけている但馬と、国家のファイナンスに関わるビジネスをしているという責任感で必至にディールを成立させようとする但馬という、二面性に共感を感じた。
自らの信念と、それに待ったをかける自分の別の欲望。
この2の間で葛藤するのは、サラリーマンには良くあるのではないか。
それでも信念を選び取るところに、大きな勇気を受けた。

更に、トルコの財務貿易庁のエンヴェル女史は主要人物の一人。
名だたる投資銀行を相手に、交渉を進めながら、国家のファイナンスを支える。
彼女と但馬ら銀行方の駆け引きは、読んでいて、非常に臨場感があった。(ただ、もっと会話に量があっても良いのかなと思うことろもある。。。。)
マンデートを獲得する側の物語は、巨大投資銀行で読んだが、こちらは与える側の視点も与えてくれた。

特に、市場における国家の信用の意味するところを垣間見ることができた。
一度の失敗でも、それが後の調達に与える影響を考えること。また、シ・ローンの組成に対する銀行の実力を見極めながら、フィーの交渉を行うというのは、国家といえども調達に(特にトルコのような新興国は)対して大きな労苦を費やしていることを本書を通して知った。
時を見極める力、そしてプランをエクスキューズションする力、その2つが無ければ、どれだけ優れたビジョンを持っていても、何も起こらず終わるのではないだろうか。


主人公・但馬の不器用ながらも、信を重んじ、整然と理論で物事を進める姿に、前述の共感だけでなく、個人的な憧れを感じる。

徹底的に、自分のやり方で、組織の不条理さに立ち向かうこと、それを私できたらと思う。組織内で器用な人はそれで良いと思う。ただ、不器用を自覚している私としては、武器は論理にしたい(勝手にではあるが)と強く思う。

個人として、これまでで一番鼓舞された黒木作品であった。

May 19, 2013

藁の楯を見てきた・・・・


先日、いつものようにふらっと映画を見たくなったので、こちらの映画大沢たかお・松嶋菜々子主演の「藁の楯」という映画を観てきました。

若干、最近見たばかりのSP(岡田准一のやつ)に似てるんだろうな、とも思いながら、今ある映画でこれくらいしか興味をそそらなかったため、こちらにしました。

まず、映画としての感想から。
日本映画らしく、「大袈裟でアンリアル」なところはあまり抜けだせてませんでした。
しかし、単なるハッピーエンドで終わらせないところは、力強さを感じました。さらに言いますと、アンリアルと言いながらも、警察の「税金の無駄遣い」という映画中で表現があったからこそ、今回のはあある程度リアリスティックな仕上がりになっていたとも感じてます。
キャストでは、大沢たかおの演技はやはり鉄板でしたね。観ていて、引きこまれていく力がありました。松嶋菜々子は若干、お年を召された感が否めません。。。。。
藤原竜也の「清丸」役、正直怖かったです。彼は、このような「狂った」というか、ぶっとんだ様な役を演じることが多いと思うのですが、今回も観ていて怖くなるような演技でした。

そして、個人的な感想です。
映画の中で繰り返し使われた言葉、そして本作のテーマ(なのではと思っていますが)でもある言葉がとても強く胸に刺さりました。

「こんな奴、守る価値あるのか?」

清丸国秀という少女暴行殺害犯の護送という、本来なら用心警護に当たるはずの主人公、銘苅警部補と白石巡査部長。しかし、この男に懸けられた10億円というお金が人々を狂気の沙汰へと引きこんでいく。
護送チームの若い刑事の神箸が撃たれ、死ぬ間際に「あんな奴、ほんとうに守る価値あるのか?」と言い残し息を引き取りました。正義に燃えていた熱い人物でした。
そんな中でも、彼を命がけで守ろうとする二人。裁判員裁判にかけられればほぼ死刑が確定のこの男を何で守る必要があるのか、それは「守れと言われた人を守るのが仕事」だと割り切ろうとしている二人も、ずっと自問していることであった。
私も作品に引き込まれる過程で、「手を抜いてしまえば簡単に他人の手によって殺される。そして、それによって他の人の狂気を止め、一人でも多くの人が助かるのならその方が良いのではないか?」と思いました。
まるで人が苦しむのを楽しみにしている、人の命を何とも思っていない清丸の態度を観ていると怒りさえも覚えました。

しかし、それを観終わり、少し考えました。すると、一つのことが頭に浮かびました。

「イエスの十字架も、そうじゃないのか?」

最近読んでいる本が、チャールズ・スポルジョンの「ただ恵みによって」という本です。
彼はこの本の中で、キリストの十字架の意味を、驚きをもってこのように述べています。

「私は、自分が一片の無価値な存在、背徳のかたまり、罪の山であり、神の全能の愛の前から全くかけ離れていることを知っています。しかし、キリスト・イエスを信じる信仰によって私は義とされ、ちょうど全く正しかった者のように扱われ、そのうえ神の相続人、キリストとともに相続人とされているのです。・・・(中略)・・・私は、自然の性質からすると最も罪深い者の一人であることに違いないのです。まるっきり値打ちがない私が、価値のあった者のように扱われるのです。」
清丸という男を自分に重ねることができると思いました。
彼ほど、道徳的に腐敗していないし、人を傷つけていないですが、それでも神の前では自分の道徳や正しさはこれっぽちも通用しないと。
そして、銘苅と白石が問いかけた問題は、十字架にも言えることではないでしょうか。
「私にそんな価値はあるのか?」と。

「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちが罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を明らかにしておられます。」ローマ5:7−8
この意味の深さを、まだ私が理解しておらず、軽々しく扱っていたと痛感しました。
自分の罪深さをまだまだ理解できていない自分を知りました。もちろん、知りたいとは思いません(感覚的にです)。ですが、神の完璧さに触れるともっとそれが明らかになるのだろうと思わされました。
清丸に対するイラつきや怒りは、彼自身の悪行ではなく、そんな彼を命を賭し、傷つきながら守る銘苅たちの姿の方が大きなトリガーとなっているのだと感じました。
こんな人間のために、ぼろぼろになっていく有望な彼らを見ていられなかったのです。

もちろん、銘苅とイエスを完全に重ねることはできませんし、それは失礼なことです。
しかし、意味においては、似ているのかと。

イエスの正しさ、完璧さを見ると、自分のために死んだということに対し、ある意味「なぜ?」という思いと、驚嘆の念を覚えざるを得ないのです。

まだ、スポルジョンの本は前半ですが、この「不敬虔な者が義とされる」ということ、もっともっと深く知りたいと思わせてくれる映画でした。

May 12, 2013

カルバリーチャペル・ジャパン・カンファレンス

GW後半に、タイトルのカルバリーチャペル・ジャパン・カンファレンスに参加してまいりました。
毎年、行われているカンファレンスですが、高三の時に参加して以来かれこれ7年連続の参加になりました。
(個人的には、かなりな記録だろうと思ってます(ΦωΦ)フフフ…)


今回のテーマは第一ヨハネの手紙から「キリストの愛へ応答する」とうことでした。

キリストの愛とういテーマはこれまで、何度も何度も繰り返し聞いてきたことですが、
このような場で改めて聞き、学ととても新鮮なものになりました。
もっと、もっと日々の生活からキリストの愛に触れていく必要を痛く感じました。

余談ですが。。。。最近、人の写真を全く取っていないことに気づきました。
今回の旅行では、かなり多くの人に会ってきたのですが、彼らの写真を一枚もとっていない!!!なんという・・・・
反省します。

そう、今回の旅を特別にしたのは、ほんとうに多くの人に会えたことです。
勿論、カンファレンスには多くの教会(カルバリーチャペル)から参加があったので、ここでしか会えない人も多くいました。
そして、話し交わりと、とても有意義な時間でした。

また、教会以外でも、旧知の宣教師の友人や、大学時代からの友人など色々な方々とお会いしました。こんな私の為に時間をとってくれたと思うと、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう!!!

会えた人たちとは、とても有意義な時間を過ごせました。
お互いの人生について語り、時には信仰も分かち合うことが出来ました。
また、ミニストリーについて励まし合ったり。
正直、どうでもいいことで笑ったり。
いや本当に、楽しかったです。

このような素晴らしい友を多く与えてくれた神様に感謝の気持ちで満たされました。

私の性格的に、外で活発に動くというか、英語ではタイプAというのですが、そういうのではないので、結構億劫なところがあります。
なので、正直大学ではそんなに多くの友人を作ることはなかったかなと思います。
しかし、そのような性格を曲りなりにも自覚しているので、一つ一つの出会いを大切にしたいと常に思っています。
そして、このように沖縄に帰ってきても、繋がっている友達がいるのは、ある意味神様の奇跡だと思うのですね。恵みです。

これからも、この一つ一つの出会いを大切に、そして与えられた関係を恵みだと認識することは守っていきたいと思わされました。

Apr 30, 2013

「獅子のごとく」黒木亮


またもや、ブックレビュー(書評)になります。
(すんません。最近、本ばかりよんでるもので・・・・・・)

これは、多分「巨大投資銀行」と「トップレフト」に続く3つ目の黒木亮作品になります。(「エネルギー」も読みましたが、金融系ではないので、ここでは触れません。)

内容としては、主人公の逢坂(多分、ゴールドマン日本法人の社長持田氏がモデル)が自分の家族の商売・家を取り上げた東都銀行への復讐の執念で、エイブラハム・ブラザーズという外資投資銀行でパートナーまで登りつめていくというストーリー。
顧客を接待漬けにし、違法ぎりぎりの行為をも厭わず行い、ディールを獲得し、着々とj自らの地位を固め、敵は徹底的に排除していく姿はまさに「獅子」そのもの。

一見華やかな世界の投資銀行というビジネスですが、(日本が特殊なのかは分からないですが)かなり泥汚い現場が書かれています。といっても、これはネットで見ると、ある程度からは誇張されている感じがあるようですが。。。

感想としては、ちょっと寂しい感じがしました。
というのも、エンディングも「えっ、これでいいの?」と思わせるようなものでしたし、内容的にも前に読んだ二作品と比べると、薄い感じがしました。
「薄い」というのは、勉強できる箇所が少なく、人間ドラマの面がかなり強くなっています。
個人的ですが、こういったビジネス小説的なものに、自分の知らない世界のことを勉強させて欲しいという期待感を持ってるんです。そして、「巨大投資銀行」なんかはそういった側面も多く持っていましたから、同様の期待感でこの作品を読んでしまったのが行けなかったかもしれません・・・・・・

もっと、こうシ団の組成の過程とか、ネゴシエーションの現場、金融商品のカラクリ的な部分などを見せて欲しかった。
週刊雑誌的な面が多く、知的には満足とまではいきませんでした。

ただ、これさえ読んでいれば、就活期にあんなに外資のIBとか受けなかったのにと後悔。むしろ最近は、トレーダーの方が自分にはあってたななんて、夢を見てます。

Apr 28, 2013

「地熱が日本を救う」真山仁


今回は、連続になる真山仁の作品、「地熱が日本を救う」です。

タイトルの通り、地熱発電についての新書になります。
以前に小説「マグマ」(ドラマ化もされましたね)で地熱を扱って以来の、電力についての作品になります。

さて、結論からすると、「マグマ」を読んでいれば十分です!!

初めて、若干ではありますが、真山さんの作品で残念な思いをしました。
(そもそも新書なので、小説と同じ期待はしない方が良かったのかもしれません。)

ただ、内容的にあまり訴えかけてくるものがありませんでした。

地熱が日の目を見ない時代→原子力の台頭→新エネに注目/ただし地熱は無視される
→原子力ルネッサンス→震災→地熱のチャンス到来
という時代を追っていくわけですが。
正直、(極めて個人的ですが)こんなことは、分かりきったことでした。

所々、豆知識が入っていて、勉強にはなりましたが、もっとこう真山さんの主張を入れ込んで欲しかったという感じです。
更に欲を言えば、もっと深い取材を通しての視点、論点が欲しかった。
地熱に関しての一般論に終始してしまった感じでした。
地熱の抱える問題で、天然記念公園や温泉組合などは、知らないほうが勉強不足。(勿論、その勉強のために書いているので、的はずれな批判なのですが・・・)

個人的には、地熱に対してまだ懐疑的な方だと思っています。
地熱は再生可能エネルギーの中で唯一、安定供給が可能で、ベース電源となりうる。そして、コジェネの観点からも、かなりの効率を持っている。そして、なんといっても日本は、世界でもトップレベルの地熱量を持っている。
以上が真山さんの主張です。
その通りなのですが、やはりコストがネックなのかと思います。
プロジェクト年数と発電容量を考えると、どうしても地熱よりも太陽光や風力が魅力的に映ってしまうと思います。

私は、原子力と同じように、地熱に関しては、官がもっと積極的に関わっていくべきではないかと思います。
勿論、再生可能エネルギー固定価格買取制度は地熱の買取単価を高めに設定し、民間の投資を促すというものになっていると思います。ただ、プロジェクトの規模が企業にとってはまだまだ魅力的ではないのかと思います。
10万キロワットそこらの容量では、もちろん水力や太陽光に比べ、その安定性を鑑みると、素晴らしい電源だなと思います。
ただ、10万キロワットをプロジェクト単位で見たときに、IRRは約13%に設定されている。確かにこれは、他の単価設定よりも高め。
しかしですよ、如何せん太陽光と比べ動き出しているプロジェクト数が違うのです。それはやはり、プロジェクトとして、投資対象としての魅力に欠けているとうことなのではないでしょうか。

なので、むしろ政府系ファンドであったりが、イニシアチブを取ってプロジェクトを組成していくべきではないかと思う。プロジェクトファイナンスの例は太陽光では既にあるわけで、年金とかも動かせるなら、かなり可能性はあると思います。

結論からすると、皆さん「マグマ」の方が面白いですよ!!!

Mar 22, 2013

Worship Song and Us

I often hear, "I've got to play this song!!"
With enthusiasm and passion, I can feel the excitement that people have.

But let's step back a moment and think "Why we need to play the song?".

A few reasons I can think of.


1."This song got really nice music and it definitely excite everyone."

I've felt this so many times in past.
I'd find a song that has good rhythm and the flow is pretty.
The song enables me to put my feeling into singing, I thought.

Well, this is not bad motive.
I think well inspired songs excite people and have something in it.

2."This song spoke to my heat."

This is actually very good reason.
We need to be ministered by the Lord so that we can minister to others.
We can only give what we receive.

I think it is necessary that worship leaders have personal worship time.
It deepens our understanding to the songs and blesses our hearts.
And we hope that we can share this exciting experience with others.

This is very honset and pure motive.

3."We need a new song that refreshes our worshiping congregation"

Again, this is very good one.
Pslam 33:3 says "Sing to Him a new song; play skillfully with shout of joy."

Often, when the church sings same song every week, the dynamics dies and our corporate worship experience becomes dull and monotone.

New songs energize gathered church and give fresh breath into our singing.


Again, these are not bad at all; rather good reasons.
But, I think there is an important element missing in these ideas.

That is idea of "what ministers people?".

Of course, the worship is very spiritual and we ought to be led by the Spirit.

But, we also need to think logically what ministers to people.
Accessing where church is collectively, and what they need to hear and learn helps us plan for worship a lot.

Maybe they need to hear more proclamation of the Gospel. (Which always we need.)
Maybe, the week, we are learning about filling of the Spirit and it's be really nice to play some songs that is about seeking the filling of the Spirit.
Or, they need to learn about physical expression in worship.

Assessment is not easy and requires much wisdom.

But I believe it helps church a lot when worship leader take a step back and objectively observe the state of the church.

And plan prayerfully and thoughtfully.
Sometime, we need to wait when we really want to play new song.
Maybe because we played new song last week.
Or, for like me with Japanese and English speakers mixed congregation, I need to hold and wait for translation of songs so that everyone would be ministered.

I remember one worship leader mentioned this principle.
The Principle is this;

"Worship songs should serve us."

Songs are given to us so that we might glorify God.
We cannot let song take initiative.
We carefully select songs that serves us.

So just a mere personal thought you can think through.

Mar 19, 2013

ブック・レビュー「黙示」真山仁


読んだ本を頭の中にある程度定着させるには、書くこと!らしい。
ということは、ブログにすることでもオッケーじゃないか!?
ということで、そろそろ、自分の為にもブックレビューをブログでもどんどんやっていきたいと思います。
と言っても、これまでも読んだ本からシェアしてきましたから、特に真新しいものではないですけどね・・・・・

さて、今回は真山仁の「黙示」。
ハゲタカから真山さんの本はほとんど読んできました。
そして、こちらの新刊も、予約注文、即ゲット!!

こちら、たまたまこの前に読んでいた短篇集「プライド」の一作の続きとなっている。(そいういった情報は見当たらないのだが、登場人物からいっても間違えない)
テーマは、日本農業。
農薬、GMO(GM作物)、TPP等のかなりタイムリーなトピックが扱われている。

食糧自給率が非常に低い国、日本。(そもそも、この「食糧自給率」にも色んなカラクリがあるのだが・・・)
そんな日本がどのように自国民のための食糧を確保していくかは、人口増加が止まらない世界にあって死活問題であることには間違えない。(資源にも同じことが言える。)
しかし、私の様な一般市民は、あまり正確な情報を持っていないのが事実。
その上に、「奥様迎合型」のメディアに踊らされ、正義感に満ちた、偏った見方を身につけてしまう。

主人公の平井は、農薬製造会社の研究員なのだが、ひょんな事からCSR室長へと移動になる。そこで、研究者だからこそ知っている農薬の安全性と危険性の間で葛藤する。
同じく、養蜂家の代田も、農薬反対の旗手として担ぎ上げられながら、農薬なしの農業など可能なのかという考えと葛藤しながら、共存への道を模索し始めるのである。

また、農水省キャリアである秋田は、世界が「密かに」直面している食糧危機を目の当たりにする。輸入に大きく依存している日本の食糧は、輸入がストップすることを想像できない。しかし、秋田が見たものは、まさにそれがあり得るどころか、「いつに起こるのか」という問題であった。

そして、最後にはGMO(遺伝子組み換え作物)への話は展開していく。

個人的には、平井と代田の葛藤がとても分かるような気持ちがした。
理想と現実の間というと、あまりにも陳腐であるが、その大切さに目を向ける人は少ないのではないだろうか。
前述した「奥様迎合型」という言葉は私が勝手に作ったのだが、代田の周りにもそいう登場人物が描かれている。とにかく、正義感あふれる感じの報道をグイグイ押していくメディアは今でもあるのではないか。お茶の間の奥様たちは、お昼のニュースなどでこういった報道を見て、ネットで調べ、あたかも世の中の不条理を暴いてやったという感覚になる。
まあ、言い過ぎかもしれないが、そういった報道には気をつけたい。

話が逸れてしまったが、「理想と現実」は冷静に現実を見ているからこそ起こることではないかと思う。メリットとデメリットを世の中の殆どの物事は持っている。全てが悪のものなど、淘汰されていく(と信じたい。)
しかし、何かしらのゴールに向かわないことには、単なる煩悩で終わってしまう。そうならないためにも、情報の収集・取捨選択・整理が大切なのだろう。

日本の農業には何が必要なのか。
本作品が答えを提示していると思ってはいけない。
飽くまで、問題提起だろう。実際に、本の終わり方もそのようになっている。

我々日本人は、本気になって今後の国家のあり方について考えないといけないのではないか。
エネルギー資源は電力問題もあり、かなりの注目を集めている。
しかし、人間に直接のエネルギーを供給する食糧の問題は見過ごされがちである。
この問題へもっと目を向け、冷静に判断できる力をつけていく必要を強く感じた。

もう一点感じたことは、「官僚は国の土となれ」という言葉である。
最近、仕事上でも官僚の力の大きさというものを感じている。
そして、それは彼らが持っているポテンシャルということも言えるのかと。
秋田に与えられたこの訓示は、本当にキャリア官僚の方々には持っていて欲しい。
一般市民には見られないが、彼らの仕事なしには、本当に国は回らない。
結局、テレビで物事を成し遂げている人というのは、かなりの部分で官僚によって支えられている。陽の目を見ないが、それでも社会では大きな権限をもっているし、社会の仕組みを作っているのは彼らなのだから。

私自身何ができるかということも、今後もっと問わなくてはと思わされた。

やはり、真山作品は深いな。

経過観察

先日、社内の英語テストを受けました。

特に、業務上必要なものではないのですが、一定のレベルは将来のためにも保っておきたいため、受験してみました。

実は、これ新入社員研修時に受けていたのですが、体調も悪く、結構スコアを(ベストに比べ)落としてしまってました。

今回は、取り敢えず、前回スコア越えは最低限で、ベストの回復を目指してみました。

結果は、ノルマクリアといったところでした(・ω・)ノ

正直、勉強癖が抜けていて、試験時の集中力が欠けてしました。2回程、ボーッとしてしまったのは痛かった!

また、半年後か一年後に受けてみようと思います。



Feb 24, 2013

ゼロ・ダーク・サーティーを観て

今回は本ブログでは初めてのことですが、映画の感想について書こうと思います。

先日ですが、話題の映画「ゼロ・ダーク・サーティー」を観てきました。

もともと、こういう社会派というか、史実に沿ったアクション映画が好きなので、公開前から絶対に見たいと思っていました。

イントロ等の映画の紹介は今回は省き、以下の感想をつらつらと書きます。

正直、2011年にアメリカ軍がビン・ラディン殺害に成功したというニュースを見たとき、特に感じることは何もなく、むしろ一人の人の死をこうも喜ぶアメリカ市民の民度は低いんじゃないかとさえ思ってました。

2年以上の時間が経ち、もうその事実の重要性など忘れ去った頃のときにやってきたこの映画。ネットで見てみると、アメリカではかなりの物議をかもしているとのこと。
(国会まで動いちゃったみたいだからね・・・・・)
無論、それをただの議員のアピールプレーとか、ステマだとも見ることもできた。しかし、これだけ動いているということは、それなりに事実を含んでしまっているものだとも見ることができる。(「しまっている」というのは、一応この作戦自体はまだ機密で後悔されているものはごく一部に限られているから。)
じゃあ、見てみようじゃないか!!と、久しぶりに映画館を仕事後に訪れた。

・・・・・・・・

では、鑑賞後の感想をプロコン方式で書いてみようと思います。

☆良かったと思った点。
・リアリティ
 ハート・ロッカーそうだったのだが、ビグロー監督はまたもやすごいリアリティを作り出したと感じた。
 今回は、ほとんどのロケを海外(インド、ヨルダン等々)で行い、特にビン・ラディン潜伏基地は3ヶ月をもかけ建築したとのこと。
 また、情報収集にそれが欠かせなかったことは暗黙の了解なのだろうが、アブグレイブの事件もありアメリカはかなりアレルギー的な反応を示すとも考えられたのではないか。拷問のシーンは本来ならば観客感情を考えると入れるのはいやなところであろうが、敢えて入れた感じを感じた。この真摯さには好感を感じた。
 さらに、「イスラマバード・マリオット・ホテル自爆テロ事件」「チャップマン基地自爆テロ事件」「アブグレイブ刑務所捕虜虐待事件」等々、私でも知っている様な事実が上手く散りばめられていたため、リアリティを感じ易くなっていたこともあるのかなと感じた。

・政治の複雑性
 ホワイトハウスとのやりとりが映画の終盤で登場してくる。本作のようなヒロイックな作品は、アメリカの指導部を盛り上げる傾向にあると思う。しかし、実際の政治では意思決定プロセスが映画のようなダイナミクスをもって決まることはないのではないか。
 ホワイトハウスへのブリーフィング、パネッタCIA長官へのブリーフィングなどの場面があるが、作戦実行の決定はそこではなされずに、突然来るところもリアルに感じた。
 組織の下にいる人というのは、上へ上げるものは上げ後は、下ってくる決定を待つだけなのだと。普遍の真実ということではないが、それが組織のもどかしさと、逆に個人の暴走にブレーキをかけているとも思った。

・マヤの最後の涙
 これはネタバレになるが、作戦成功後に飛行機の中で流した涙はとても印象的だった。
 普通の戦争物であれば、最後は勝利の歓喜に酔いしれるみないな感じで終わるのだが、作戦が成功し、ハッピーエンドの筈なのに、最後は無言の涙で終わる。
 これは一体何を訴えているのだろうと今でも考える。
 ただ分かるのは、ビグロー監督と脚本を書いたマーク・ボールもこれを単なるヒーロー物に終わらせたくないという意図を込めたのだろうということ。
 戦いの後に何があるのか、執着してきたことが成し遂げられたときの一瞬の悲哀感、それは誰もが感じるが拭い去ろうとするものなのだろう・・・・・

★「ちょっとな・・・」と思った点

・マヤの活躍ぶり
 主人公が活躍するのはまあ、映画ならば仕方ないのだろうが、個人的にはこんなにも個人の果たしたロールが大きいとは思えなかった。CIAという巨大組織にいるのだから、さすがにもっと多くの人と働いただろうし、もっと他にも(特に情報分析という点において)マヤと同じくらいのキープレーヤーはいたんじゃないかと推測してしまった。
 まあ、これが事実ならそれはそれでなのですが。
 個人的にそう思っただけです。

・政治のダイナミクスの描写がない
 良い点でも挙げた点ではあるが、個人的にもっとそこにも場面をもっていって欲しかったという思いが残った。前項にも関わるが、マヤの搭乗時間がかなり長く、もうちょっと彼女から離れたところでのストーリーがあって、彼女につながっていくみたいなはらはらな展開を観たかったな・・・・・・


と、以上は”個人的”な感想です。

本当はもう一度見たいけれど、DVDになるまで待ちます・・・・・



Feb 16, 2013

日本人男性のバイブルスタディ

こんにちは。

ブログでは始めてになりますが、数カ月前から日本人男性のバイブルスタディをやってます。
というのも、(人数的には仕方がないのですが、)女性の会は教会では多くあるのですが、日本人男性の集まりが少ない!!!って思ったのがきっかけです。

そうしたら、ある兄弟が「康智さん、なぜ日本人男性の交わり会のようなものはないんですか?」と言ってくださったんです!!
私がはじめるのは億劫だったので、これこそ時だと思いました。

今は、エペソ人への手紙を読み進めています。
メッセージがあるというよりも、皆で色々ディスカッションをしながら、学んでいくスタイルです。
受けるだけではなく、自発的に学べるのでとても刺激的な時間です。

今日は参加人数過去最多の6人!!
まだまだ、これから成長していくグループだと信じています。




Jan 14, 2013

End of last year...

It's been a while since last post..... well, now I really know I am not a frequent blogger. haha but I still want to post time to time and here it is.
いやはや、もはやブロガーとは言えない更新頻度で、すみません。でも、一応これからも更新はしていきますので宜しくお願い致します。今回はこちらです。

Late December was super crazy busy. (Not as crazy work busy as October...)
12月はめっちゃくちゃ忙しい月でした。(10月みたいな仕事がキツキツということではないですが)

I had to plan a year-end party for my department (about 60 people) and also had to do short performance there. ( one of my co-worker and I ended up doing this dance ). I am not really organized person, so I ended up doing almost most of the work by myself and got myself really stressed. But I think I've learned how to do things better now.
And Christmas, last day of work, making new-year's card....... etc followed.
特に、忘年会はきつかった。まず、新入社員ということでひとまず担当になり、場所の確保、会費の設定、景品・食事の準備等々、やることが多すぎ!!そして、物事を上手く回すという能力に欠けている私は、結局ほとんどを一人で背負いこみ、テンパるという負のサイクル。そして、余興は・・・・・まあ、練習のかいなく、さんざんでしたが。
そして、クリスマスや仕事納め、年賀状作成等々盛りだくさんな月でした。

But, good thing was I was able to take time offs.
First, I took halfday off from work and stayed at hotel some of whose room my company owns as owner's room. (That means super discount price.)
I was able to have really relaxing time, and in the word and prayer.
でもでも、息抜きもしてましたよ!!
まずは、一人で(笑わないで)、会社の保養施設に泊まりに行っちゃいました。
そこでは、リラックスもできたし、みことばと祈りの時間もとれました。
view from the room
outside view

 And another day, my family stayed at a hotel and had fun family time.
It was pretty nice time. It was warm day and really nice day.



こんなに、忙しい中でも休みの日が与えられたことはホントに感謝なことです。