今回は本ブログでは初めてのことですが、映画の感想について書こうと思います。
先日ですが、話題の映画「ゼロ・ダーク・サーティー」を観てきました。
もともと、こういう社会派というか、史実に沿ったアクション映画が好きなので、公開前から絶対に見たいと思っていました。
イントロ等の映画の紹介は今回は省き、以下の感想をつらつらと書きます。
正直、2011年にアメリカ軍がビン・ラディン殺害に成功したというニュースを見たとき、特に感じることは何もなく、むしろ一人の人の死をこうも喜ぶアメリカ市民の民度は低いんじゃないかとさえ思ってました。
2年以上の時間が経ち、もうその事実の重要性など忘れ去った頃のときにやってきたこの映画。ネットで見てみると、アメリカではかなりの物議をかもしているとのこと。
(国会まで動いちゃったみたいだからね・・・・・)
無論、それをただの議員のアピールプレーとか、ステマだとも見ることもできた。しかし、これだけ動いているということは、それなりに事実を含んでしまっているものだとも見ることができる。(「しまっている」というのは、一応この作戦自体はまだ機密で後悔されているものはごく一部に限られているから。)
じゃあ、見てみようじゃないか!!と、久しぶりに映画館を仕事後に訪れた。
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では、鑑賞後の感想をプロコン方式で書いてみようと思います。
☆良かったと思った点。
・リアリティ
ハート・ロッカーそうだったのだが、ビグロー監督はまたもやすごいリアリティを作り出したと感じた。
今回は、ほとんどのロケを海外(インド、ヨルダン等々)で行い、特にビン・ラディン潜伏基地は3ヶ月をもかけ建築したとのこと。
また、情報収集にそれが欠かせなかったことは暗黙の了解なのだろうが、アブグレイブの事件もありアメリカはかなりアレルギー的な反応を示すとも考えられたのではないか。拷問のシーンは本来ならば観客感情を考えると入れるのはいやなところであろうが、敢えて入れた感じを感じた。この真摯さには好感を感じた。
さらに、「イスラマバード・マリオット・ホテル自爆テロ事件」「チャップマン基地自爆テロ事件」「アブグレイブ刑務所捕虜虐待事件」等々、私でも知っている様な事実が上手く散りばめられていたため、リアリティを感じ易くなっていたこともあるのかなと感じた。
・政治の複雑性
ホワイトハウスとのやりとりが映画の終盤で登場してくる。本作のようなヒロイックな作品は、アメリカの指導部を盛り上げる傾向にあると思う。しかし、実際の政治では意思決定プロセスが映画のようなダイナミクスをもって決まることはないのではないか。
ホワイトハウスへのブリーフィング、パネッタCIA長官へのブリーフィングなどの場面があるが、作戦実行の決定はそこではなされずに、突然来るところもリアルに感じた。
組織の下にいる人というのは、上へ上げるものは上げ後は、下ってくる決定を待つだけなのだと。普遍の真実ということではないが、それが組織のもどかしさと、逆に個人の暴走にブレーキをかけているとも思った。
・マヤの最後の涙
これはネタバレになるが、作戦成功後に飛行機の中で流した涙はとても印象的だった。
普通の戦争物であれば、最後は勝利の歓喜に酔いしれるみないな感じで終わるのだが、作戦が成功し、ハッピーエンドの筈なのに、最後は無言の涙で終わる。
これは一体何を訴えているのだろうと今でも考える。
ただ分かるのは、ビグロー監督と脚本を書いたマーク・ボールもこれを単なるヒーロー物に終わらせたくないという意図を込めたのだろうということ。
戦いの後に何があるのか、執着してきたことが成し遂げられたときの一瞬の悲哀感、それは誰もが感じるが拭い去ろうとするものなのだろう・・・・・
★「ちょっとな・・・」と思った点
・マヤの活躍ぶり
主人公が活躍するのはまあ、映画ならば仕方ないのだろうが、個人的にはこんなにも個人の果たしたロールが大きいとは思えなかった。CIAという巨大組織にいるのだから、さすがにもっと多くの人と働いただろうし、もっと他にも(特に情報分析という点において)マヤと同じくらいのキープレーヤーはいたんじゃないかと推測してしまった。
まあ、これが事実ならそれはそれでなのですが。
個人的にそう思っただけです。
・政治のダイナミクスの描写がない
良い点でも挙げた点ではあるが、個人的にもっとそこにも場面をもっていって欲しかったという思いが残った。前項にも関わるが、マヤの搭乗時間がかなり長く、もうちょっと彼女から離れたところでのストーリーがあって、彼女につながっていくみたいなはらはらな展開を観たかったな・・・・・・
と、以上は”個人的”な感想です。
本当はもう一度見たいけれど、DVDになるまで待ちます・・・・・
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