"not lagging in diligence, fervent in spirit, serving the Lord, rejoicing in hope, patient in tribulation, continuing steadfastly in prayer, distributing to the needs of the saints, given to hospitality. " Romans 12:11-13
Jan 29, 2014
ブックレビュー:「原発ホワイトアウト」(若杉冽)
いやはや、とんでもない作品がでてきたものです。「原発ホワイトアウト」
ぶっちゃけ、ビビりました。
あまりにも身近なので、内容の詳細には触れず、感想をつらつらとタイプします。。。。
先の東日本大震災から、被災地の復興は少しづつ進んでいるようですが(勿論、福島等遅々として決まらないものも多いと思いますが)、中々表立って取り上げられないのが「電力システム改革」です。
(いちおう、こんな形で報告書は出ています。)
*テレビでも取り上げられていました。
著者が現役キャリア官僚だというからとても興味深い。
そして、読んでいる限り、かなり内部にいる人の告発のように思える。
電力システムというのは、批判の対象にはなれど、中々取り上げられない。
私が着目したいのは、このシステムよりも、このシステム周辺に住む人々である。
「原価総括方式」を、単価の決め方がある番組では「電力モンスター・システム」と呼んでいた。ただ、「原価総括方式」というのは、電気事業に係る原価を全てひっくるめた上で、「一定水準の利益」を確保できる単価・価格を設定すること。
とまあ、考えて見ればこんなこと、どの会社もやっていること。
製品の価格は、それにかかった研究開発費・原材料費・輸送費・販促費・人件費等々を加味して決まるわけです。それと同じように、電気も配電費・発電費・営業費等を基に単価の算定を行います。
私が本作の中で注目したものは、その収益方式から生まれる「トレント」に群がる人がいるということです。これが先述した「一定水準の利益」なのですが。(この事業報酬を業界ではベータ値と呼んで、システムではかなり厳しく評価・監視されています。)
ここで注目すべきは、「日本電力連盟」とモデルばればれの組織です。
そこの常務理事のロビー活動というか、政治活動が生々しい。
落選議員への計らいをもって、将来の御用議員を確保する。
そして、監督省庁の役人への便宜、出身会社への指示等々によって進める原発再稼働。
もう、これは政治組織かって言うほどの力があるんじゃないでしょうか。
その上で、各電力には例えば関東電力には「東栄会」なるものを組織させ、会社としてではなく、その財団組織を通すことで、関係会社・協力会社まで巻き込んだ資金力をバックに、政治活動ができるようになっている。
そして、これらの組織の目的は、既得権益の確保。
本当にそれが事実なら由々しきことです。
原発再稼働については、エネルギー問題として思うところはあります。
ただ、このシステム改革と既得権益については、完全におかしい。
そもそも、電力ビジネスはその公益性の高さ故に地域独占が認められてきたわけです。また、それだけではなく、過去に電力事業へ投資してきたのが官ではなく、民間によってなされていたこともあります。
なので、「地域独占は間違っている」という議論は稚拙で論外。
問題の確信は、国民が電力事業をどう見るかにかかっていると思います。
これを通信事業(電話通信が分かりやすい)と同列で考えるならば、独占状態は誤りです。そして、しっかりと自由化を推進すべきでしょう。
しかし、ライフラインとして見るなら話は簡単ではありません。
税金で賄われているなら、問題なく公共事業なのですが、実際はそうではなく民間のビジネスとして確立されている。
この民間が担う公共ビジネスは、非常に繊細な制度設計を要するのです。事実、いまでも電力システム改革の制度設計ワーキンググループにおいて、今度の進め方が議論されています。
しかし、この制度設計が悪用されているというのが、著者の主張ではないでしょうか。
ビジネスを担うものとして忘れてはいけないのが、それが誰のためかというもの。
これは電力ビジネスに限ったことではありません。
先の金融危機は「クライアント第一」と標榜していた投資銀行がいつの間にか、自社の利益のためにクライアントを食っていたことを明らかにしました。
エンロンもエネルギー事業以外の投資によって利益をあげようとしたばかりに、失敗。
健全なビジネスは、本業を地道に守りぬくこと。
そして、その本業とは何かを見極め続けることにあるのではないでしょうか。
この電力ビジネスが生み出す「トレント」を本作は一種の麻薬のようなものと表現しています。システムに組み込まれると、もう抜け出せないのです。
そこには、あまりに多くの人が入っている。まさに、「大きすぎて潰せない」ものの一つなのかもしれないです。
しかし、霞ヶ関の中にも古賀茂明を良識派として慕う「隠れキリシタン」がいると著者が言うように、電力業界内にも本気でお客様のことを考え、働いている人は多くいると思う。
その力がいま必要なのかもしれません。
一体何が、国民、お客さまのためなのか。それを追求していく先に、健全な市場が形成され、そこから健全なビジネスモデルが生まれると思うのです。
本作品を読んで電力業界を断罪できることは簡単でしょう。しかし、本質的な問題をこれを通して見ることができればなと思います。
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