Feb 11, 2014

「君に友だちはいらない」(瀧本哲史)


さて、最近このブログがもっぱら本についてばかりなのですが、今回もまだ続きます。

今回読んだのは、「君に友だちいらない」という瀧本哲史氏による本です。

まず、何故この本を選んだのか。

ズバリ、タイトルです!!!

引きこもり、根暗、コミ障、非社交的、、、、な私にこのタイトルが悲痛なくらいに響いてきました。
「え、それができれば、オレもこの世界でやってけるんじゃね?」なんてね。

しかし、そんな考えも序章で吹き飛ばされました。

最初の導入で本書の趣旨を説明している(これがある本はとても読みやすいので、助かる)のですが、そこで「今後グローバル化が進む社会においては、人/人材がコモディティ化してしまうことが予想される。そして、そのような危機に直面するとき、必要なのは単なる『友だち』ではなく、『仲間』なのだ」ということを述べています。

いやはや、早速希望を失う波乱の序幕でしたが、本章ではその「仲間」とは何か、どのように作るか、どのようにそれを活用していくのかということを説明しています。
その本章も確かに(自己中な)期待とは異なるものでしたが、中々為になるものだったかなという感想です。

そこで、例のごとく、印象的な部分を幾つか紹介していきます。

1.ルフィの幻影
「『ワンピース』で描かれる仲間は、ファンタジーの世界で生きる住人にとっては理想的な存在なのかもしれないが、現実にはありえない“虚像”なのだ。現実に生きるわれわれの前途は、『本物の資本主義』が猛威を振るい日一日と過酷になているというのに。」

これは、皮肉れたいいかなのように捉えられることができるかななと思いますが、リアルな世界ではワンピースはやってけないのは誰の目にも明らかなのかなとも思います。
さらにいうと、この「ワンピース」の解釈が「仲間とずっとやっていく」「ワンピースを得るまでは、誰も失わない」「どんな過酷な目にあっても決して死なないイモータルな存在」という前提にあるのですが、それが少しズレているかなと。

よくよく考えると、ワンピースを目指しているのは実はルフィだけで、各人は別の目的をもって参加しています。仮定の話ですが、もしもゾロが鷹の目ミホークを倒したら、果たしてルフィと行動を共にするでしょうか?疑問などないとは言い切れません。

ただ、ワンピースを一般に話すときにはこの「イモータルな仲間」がやたらフォーカスされる気がします。
これは、ある意味終身雇用の日本の企業に近いのかもしれません。
会社というイモータルな船に乗り込み、どんなことがあっても離れず、ずっといる仲間と困難を乗り越えていくからこそ、最後に何かが得られるという考えが重なる気がします。

人との関わりの希薄化が問題視されている最近だからこそ、この「仲間」意識がなにか羨望のような感覚をもって見られているのかなと思います。


2.チームアプローチ
「ダメなチーム(ありがちなチーム)では役職や年次で選抜されるが、よいチームはあくまで『何が出来るか』でメンバーが決まる。」

(;´∀`)…痛いなぁ
と思うばかりでした。

一体、仕事の先にあるのが何なのかということを見続けることがどれだけ難しいか、それを実感している最近だからこそ、この言葉が胸に突き刺さるように響きました。
特に何か、革命的なアイデアでもないし、ある意味普通なのですが、それでもです。

果たして自分が選ばれるのかと自問すると、自信がなくなるのが現実です。

「採用基準」でも類似したことがあったのですが、本当に人材としてマーケットに売り込めるようになるには、どのように・どのような仕事をすべきなのかをもっと考えなくてはならないと思います。

今自分がいる組織は少なからず、ミッション・メンバー選定・コミットメントを考えるとこの「ありがちなチーム」に当てはまるように感じます。

さあ、どうしたものかと悩むのですが。。。。。


3.「ぶちあげる」ことの持つ力
「最初に掲げるビジョンは大きれば大きいほどよい。と同時に、それは多くの人が共感できる普天的なものでなければならない。そのビジョンを常にチームの全員が念頭に置いて行動しなければならないし、簡単に変えるのはもってのほかだ。」

やはり、リーダーは夢を語っていなくてはならないのでしょう。
富士フィルムの古森氏が掲げた「第二の創業」を思い出しました。

それまで、コダックと画像フィルムの分野で競い・勝利してきた彼らが、化学や素材の分野に方向転換していくことは難しかったのではないでしょうか。
無論、それは単なる夢ではなく、ロジックの通ったものでしたから、浸透していったのでしょう。

ただ、何か組織を買えるときに「第二の創業」、「スマータープラネット」、「爆速」という何かのキャッチフレーズがあると、それは末端まで伝わります。
ただ、下にいけば行くほど、経営的なロジックが通用しなくなります。
しかし、そのビジョンは「普遍的なもの」でなけばならないのは、それが現場でも通用するからなのではないでしょうか。

「一体それを私はどう体現できるのか」、「自分がそのビジョンにどのように資することができるのか」ということを考えると、現場の活性化にもなり、組織にダイナミクスが生まれるのかなと。

ただ「我慢の年」や「収支が厳しいから、最大限の効率化を」「攻めのとき」などという、ビジョンというか先が見えないものをぶちあげられても、遠くから見ていると散っていく花火と何も変わりません。

これは、「巨象も踊る」というルイス・ガートナー元IBM社長の本を読んだ時から思うのですが、良いトップダウンなしには、ボトムアップは起きないのではないでしょうか。

日本の経営者にももっと大きなビジョンをぶちあげてもらいたいです。



以前の「採用基準」からのリンク出来ることも多くあった本でした。

そろそろガチで、今後のキャリアのありかたを考えなくてはいかんなぁ。。。。。










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