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Aug 12, 2012

超越性と内在性

また、「Worship Matters」よりシェアします。

「超越性(transcendence)は、被造物から独立しており、それに優っていることを意味する。私たちが神を礼拝するとき、このことを認識しなければならない。神は主権を持つ王、限りなく荘厳で栄光に満ちている。(中略)神は神であり、私たちとは違う。これは、神を礼拝するに当たり、最も助けとなる態度の一つである。」(私訳)

私の様な若い世代には、賛美歌などのお固いワーシップのスタイルは、ちょっと苦手感を覚えると思う。むしろ、カジュアルなスタイルを好む。わたし自身、そのタイプに属するだと思います。(もちろん、賛美歌は好きだし、そのような伝統的なスタイルは素晴らしいとも思う。)

変に形に固執せずに、神への愛を自由に歌い、表現することは、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックの生み出した、一つの大きな産物だと思う。
しかし、そのカジュアルさに潜む危険性というのは、上に引用したコウフリン(Kauflin)が書いた神の超越性を過小評価、見逃してしまうことではないでしょうか。
神の偉大さ、その完璧な性質をさらに理解するとき、半端な態度で近づくという思いは消え去る。賛美にしても、カジュアルは歓迎することだが、ルースな、何か抜けた感じのある賛美になっては決していけないのではないだろうか。

さらに、もう一点。
神の内在性はクリスチャンに、新しく過激な意味をもって私たちを興奮させる。神はわたしたちとともにいるだけでなく、私たちの中に住まうのである。
神は、私たちと常にともにいて、中にいてくれる。このことは、なんと大きな安らぎをあたえるだろう。
そして、イエスは私たちを「友」と呼んだ。(ヨハネ15:14−15)
しかし、D.A.カーソン(D.A.Carson)はこれについて、よい指摘をしています。
「イエス、神は聖書の中で一度も私たちの友として記述されていない。アブラハムは神の友だったが、その逆が述べられたことは一度もない。無論、ある意味において、イエスは貧しい罪人にとっての一番の友だちだろう。しかしながら、これは聖書の用語ではない。それは、聖書が、神やイエスが我々のレベルにあるような安い親密さのようなものに自身を引き下げるのには、抵抗感を覚えているようである。」
神が私たちではないこと。それでも、私たちとともにいてくれるという親近感は、正しいバランスをもって理解しなくてはならないのだと思います。
ジョン・パイパー(John Pipier)はこれを「厳粛さ(Gravity)と喜び(Gladness)」と表現しています。

聖書を生べば学ぶほど、このバランスが賛美において身についてくるのではないでしょうか。また、学びにおいてのバランスの大切さも教えられました。

Aug 4, 2012

「ぬぐい去る」働き

今日は、CC沖縄の男性の学び会に久しぶりに参加してきました。

聖書を、ティーチングではなく、リーダーと一緒にみんなで読み解いていくという形式での学びでした。
今は、使徒行伝を学んでいて、今日は第三章後半でした。

金曜日までの疲れ、なでしこ戦を見てしまったこともあり、若干うとうとしていた部分もありましたが、一箇所とても心に残りました。
それは、

19節「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。」

です。
特に、「ぬぐい去る」という表現が私の注意を引きました。
この表現には、キリストのなさった贖いにおいて、見落としてしまいがちな側面を気づかせてくれました。
「ぬぐう」というと、雑巾などで、汚いものをキレイにするというイメージがあります。
雑巾で汚れをぬぐうように、キリストも私の汚い罪をぬぐってくれたのだと。

また、その作業はそんなに楽しいものではありません。なぜか、疲れるし、自分の手が汚くなるし、他の人に頼めるなら頼みたいという思いもあるからです。(私の場合ですが・・)
そのように、キリストの贖いの働きは、とても肉体的であり(「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」ルカ22:44)、とても汚く(つばをかけられ、鞭打たれ・・・)、それでおいて、他には道のないもの(杯をとりのけて欲しいという祈り)でした。

まさに、「ぬぐい去る」という人間的かつ私たちのためであり、神聖な働きが贖いだったのでしょう。

安い恵みという観念をボンホッファーが警告していたことを思い出しました。しかし、神の恵みは無償で提供される裏で、大きな犠牲が伴っているのだと、改めて教えられました。

それにどう応答するかは、自分の心でしっかりと捉えなければならない課題だと思いました。

Jan 16, 2012

神に選んでもらう


"Spread out your petition before God and then say, 'Thy will, not mine, be done.' The sweetest lesson I have learned in God's school is to let the Lord choose for me." D.L.Moody
「神の前にあなたの願いを並べこう言いなさい。『私の願いではなく、あなたの御心がなりますように』。神の学校において、私が学んだ一番素晴らしい教訓は、私のために主に選んでもらうことだ。」D.L.ムーディー

 これが最近の私の課題です。
自分は、ある意味計算高く生きる傾向にあります。「これをするとああなって。あの人はこう思うだろうから・・・・こうすれば、うまくいく!」って感じで、自分の行動を損得勘定や、別の定規で測り考えている。

でも、本当に必要なのは、「何が主の御心なのか」なんですよね。
もちろん、頭の中では理解しているのですが、どうしても生活の中で実践出来ていないことに気づきました。
では、それは何故か?恐らく私の場合は、人の目を神の目よりも気にしているからだと思います。人がそれをどう見るか、どう評価するかを無意識のうちに考えている。
これは罪ですよね。

以前にも書きましたが、これこそ自分自身に福音を述べる必要がある証拠だと思います。
「イエスは、そんな自己中心性、自己満足、アイデンティティを神以外に求める罪から、自由にしてくれた。そして、私のアイデンティティをキリストという、決して揺り動かされない方に置くのだ。」ということを。

イエスは
「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」
と教えられました。

これこそ、自分に必要なことです。
ムーディーも述べたように、これは教えられることなのだと。今、神の学校で、私はまだまだおしえてもらっていて、もっともっと学ぶべきことがある。
そして、今教えてもらったことを自分の中に深化させる必要があるなと思わされました。

Jan 4, 2012

fall

“The essence of sin is man substituting himself for God, while the essence of salvation is God substituting himself for man. Man asserts himself against God and puts himself where only God deserves to be; God sacrifices himself for man and puts himself where only man deserves to be.” (Stott)
「救いの本質が神が人に取って代わる一方、罪の本質というのは、人が神に取って代わることである。人は神に抗い、神のいるべき場に自分自身を収める。神は人のために自己を犠牲になされ、人のみが受けるにふさわしい場にご自身を置かれた。」(ストット)
just thought it nice to share this with you.
I think our primary focus needs to be on Christ. 
But of course, studying sin can guide us to Christ too.


Sin is not something you commit, it is the condition that you are in.
How well do I realize my sinfulness?
I think it can be proportional to my understanding of the Gospel.


皆さんと分かち合いたいと思い、引用しました。
私たちのフォーカスはキリストにまずあるべきだと私は思います。
しかし同時に、罪について知ることは私たちをキリストへと導くとも思っています。


罪というのは、「行い」ではなく、究極的には「状態」であるということ。
私はどれだけ自分の罪を知っているのでしょうか?
それは、私の福音の理解と比例すると思います。



Dec 30, 2011

Is the worst really worst?



Sometimes, somehow, I'm boggled by people saying the word "worst". 
ときどき、何故か、「最悪」という言葉に妙に違和感を覚えてしまいます。

In my twisted mind, I started thinking "Is this person really know what has been said??"
私の曲がった頭の中では「この人は本当に何を言っているのか分かってるのかな?」と考えてしまいます。

Before going any further, I want to make this clear.
I do think there is a room for "worst". I do have worst moment in my life in my short twenty-two years.
And I've heard some people's experiences that, to me, are unthinkably hard and painful.
I believe that they were really difficult time. So I recognize that I need to be sensitive this place.
これより先に行く前に、これはクリアにしておきたいのですが。
確かに、「最悪」ということばにもその場所はあると思います。私にも「最悪」なときは、短い22年間の中でですが、ありました。
それだけでなく、他の人が私には考えられない程の厳しい、痛みを伴う経験をしたことも聞いたことがあります。そして、それらは本当に苦しい時だったと信じていますし、これに関してはセンシティブになる必要もあると思います。

But here I am just giving some thoughts of mine, so please allow me to say following words.
ここでは、ただ私が考えたことを述べます。これで気を害される方がいましたら、このことを了承下さい。

It is often preached from pulpits: "The best is yet to come.".
Likewise, I think "the worst is yet to come" or should I say, "the worst is not something we can easily explain." . 
When I read and see what Christ went through, those thing I time to time think as worst fades away and the word "worst" seems to be poor expression.
「最良はこれから来るのです」という言葉は、何度も教壇から述べられたことでしょう。
しかし、それと同じように、「最悪はこれから来るのです」または「最悪はそんなに簡単に説明できるものではない」とも言えるのではないでしょうか。
キリストが私のために何をなさったかを読んだとき、考えたとき、それらの「最悪」は色あせてしまい、稚拙な表現に思えてしまうのです。

The more I go deeper in the Gospel and Finished work of Christ, the lighter my sufferings becomes.
Think about what Christ had gone through for us!!!!
Is your experience that hard?? Something you make of big deal, is it really that big??
福音とキリストの完成された働きを深めれば深めるほど、私の苦しみは軽く見えてしまうのです。
キリストが私のために何をなさったかを考えてみてください。
この経験はそんなに大変でしょうか?大きく考えていることは、そんなに大きなことでしょうか?

People quote Romans8:29, and say "my worst experience can bear some good.". 
Well, I think sometimes, your worst experiences are the best lessons you will ever have!!
If that scripture becomes so much real in our lives, I don't think we would ever want to exchange such time for other things.
Actually, I've heard Pastor Tullian said "The year was most difficult year in my life, but I will never exchange the year for anything!".
ローマの8:29を引用し、多くの人は「私の最悪な経験から、神は良いものを生み出された」と言います。
私は、最悪の経験はときには最高の教訓となると思うのです。
そして、もしも最悪が最高を生み出せるのなら、それは果たして「最悪」だったのでしょうか?
パスター・テュリアンが「この年は私にとって最も苦しい年であった。しかし、私はこの年を他の何ものとも取り換え用とは思わない。」といったことを私は覚えています。

I have to say that I have not experienced such difficult times as I've heard others had gone through. (I need to be thankful for it, of course)
But at same time, I know that there will be a day I will want to say "This is worst!!". 
"Hold on, think about it!
Remember what Christ has done for me!!!", 
I have to preach to myself. 
私はここで告白しておくべきなのは、私はまだそのような苦しい経験をしたことがないということです。そしてもちろん、そのことは感謝すべきことなのですが。
しかし、同時に、私にもこれから「これは最悪だ!」と思うような時が来るでしょう。

「ちょっとまてよ!!
キリストが何をなされたかを思い出して!!」
とその時には、自分自身に言わなければならないでしょう。

As Christian, we all have a light that never fades and goes out!!!
Hold on the Light, who is Jesus who gave everything to you!! 
クリスチャンとして、私たちには決して消えない光をもっています。
その光を手放さないで!!イエスは全てを私たちに与えてくださったのだから。

Peace I leave with you, My peace I give to you; not as the world gives do I give to you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid.
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしが、あなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。 

Nov 19, 2011

心にある”溝”




この前、あるテレビ番組で若者のセックス問題についての報道があった。

「インスタント・セックス」という言葉があるらしい。それは、若者が簡単に性行為をもってしまうことらしい。ネットで出会い、そのまま性的な関係を持つ。こういう現実は、高校まではまったく見てこなかった世界だ。でも、大学では周りにあふれている。
インタビューである女性がいってた「関係を保ちたいから。・・・さみしいのかな多分。」。他の女性も「生きる意味がわからない。」という言葉が出てきていた。
私が彼女たちを街で見かけたら、おそらく「あ~、あの人にとって楽しいんだろうな。人生の深いいところに目を留められないのかな」と思ってしまっただろう。
でも、私もそうだが他人が持つ”心の穴”に気付いている人は、少なくはないのだと思う。

番組そのものは「インスタント・セックス」に否定的だったが、ゲストの人は肯定的であった。
彼女の説明は「人は心の穴を埋めるためにいろんなことをする。例えば、パチンコに、お酒に依存する人もいる。それらの一つにセックスというのがあるという、それだけのこと。リスクの問題からすると、経済的な破たんというリスクをもっているパチンコ、健康のリスクをもっているお酒よりも安全であり、正しい知識をもっていれば一つの手段としてはあり。」ということだった。
「ちょっとまてよ!」と言いたかった。というか、言った。(心の中で)
セックス自体を悪とは思わないが、それには神がデザインされたマナーがある。
男性と女性が結び合わせられるのは、コップに入った染色液のようなものだと聞いたことがある。
 「結婚の関係におけるセックスは、二つのコップから、一つのコップに液をまぜ、そしてもう一つのコップでも混ぜる。そうして、二つの色から新しい、きれいな色が出来上がる。
しかし、神の意図から外れた性的な関係は、お互いの色を下に落として混ぜているようなもの。確かに混ざるが、ほんの少ししか混ざらない上に、それを取り戻すことはできない。そうすると、本当にコップに注ぎたい人ができたときに、注げる量が少なくなっている。
 私たちの心もこのように作られている。結婚という関係のなかでのセックスは美しいくひとつになる。しかし、結婚の外のものは、心の一部を捨てているのである。彼らはかつて美しかったのだが、今では何かが変わってしまった。彼らのかつてあった姿が失われている。彼らの心の美しさが色あせてきているのである。」(Ben Courson “Chosen Generation”)


「誰かに必要とされるというのは、人間にとって大事な願望なんです。」とゲストの方は続けて言った。確かに、これは必要な感覚である。いや、「必要」という言葉より「必然的」という方が適切であろう。

 伝道者は言った
 「神はまた、人の心に永遠を与えられた」(伝道者の書3:11)
(英語の一つの訳では”He has put thoughts of forever”『神は永遠の思いを与えた』と表している。)

 人はみな、心の奥深くに”穴”を抱えている。これは、神が人の心に備え付けた、神へと人を導く感覚なのではないだろうか。人はこの世に生を受けたときから、冒険の道についている。それは、永遠を求める、心の穴を満たすものを求める旅なのだろう。これは、神が私たちは御自身の元へと導かれているという証拠の一つではないだろうか。

 パウロは
 「この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです」
とイエスを表している。これは、イエスが私たちの全てであり、私たちの全てはイエスであるということを言わんとしているのではないだろうか。
 

アウグスティヌスはこう言いました

 「それゆえ、人の心はあなたにあって安らぎを見いだすまでは、満ち足りることがありません。」(Thou hast made us for Thyself, and the heart of man is restless until it finds its rest in Thee. )

 また、パスカルは、人の心の穴をこう表しています。

 because the infinite abyss can only be filled by an infinite and immutable object; in other words, by God Himself.”(「なぜなら、この果てしない溝が、無限のもの、不変のものによってでしか満たされない。言い換えるなら、神、御自身によってである。」(私訳))

 人の奥深くにある心の溝、満たされない思い、不安をもっている。その存在に、今気づいていなくとも、心の深くを探ってみれば、いつかはその”溝”に気づくはずである。
 そして、それを満たしてくれる存在はイエス・キリストの他にいない。

 C.S.ルイスほどこのトピックを的確に、美しく言い表している人はいないだろう。
 「もしわたしが自己の内部に、この世のいかなる経験も満たしえない欲求があるのを自覚しているとするなら、それを最もよく説明してくれるのは、わたしはもう一つの世界のために造られたのだ、という考え方である。地上のいかなる快楽もこの欲求を満足させることができないとしても、だからと言って、この宇宙が食わせ物だという証拠にはならない。おそらくこの世の快楽は、その欲求を満足させるためにあるのではなく、ただそれを喚起せしめ、かつ本物のありかを暗示するために、あるのであろう。(中略) この世の祝福は、本物に対する一種の写し、反響、蜃気楼にすぎないのだから。わたしは自分の心の内にわたしのほんとうの国−それは死んでから見出すのだが−に対する欲求を生かし続けなければならない。」
 

Nov 14, 2011

The Elephant in the Room


I have been listening to series of Ecclesiastes of Pastor Tim Chaddick, Reality LA.

I had never had deep study on Ecclesiastes, and this series has been rocking my world. The book contains, frankly saying, so much deep stuff!!!

It has much to do with last post, but the book and "the preacher" makes me face some serious, heavy and unavoidable topics about life.
I might write about this further later but I have been thinking about how to relate and make relevant the heavy topic that Bible has to say to us to the people with whom I hope and pray to share my faith.

It gets very hard when it comes to talking about life, death and eternity.
Pastor Tim called it "The Elephant in the room."
I do not want to bang my friends with scriptures, but at the same time I know I want to share what the Bible says!!

One verse said to me a lot about this.
"He has made everything beautiful in its time. Also He has put eternity in their hearts, except that no one can find out the work that God does from beginning to end." 
Ecclesiastes 3:11
 One thing it taught me was, I think, there is always timing and leading of God.
He has His timing and it's so beautiful.
As I obey the leading of the Spirit, God is working in their eternity.

And another is that everyone has the sense of eternity in their heart because God has put it in their hearts!!
The very fact that I and others have a sense of eternity, even a thought of it, it the proof that God created them. And we all in deep wonder where we are going after this life.

To me, so many seemed to be indifferent with such matter, but as I learned how to be obedient to the Spirit and try to see people's hearts I found it more often that many want to know what it is.

Many people know the existence of "the elephant." but do not want to admit it.
It is easier to ignore than tackling with the elephant. But you never be able to dismiss it completely, only can delay, and sometimes it's too late.
I think I need to be a guide to help people see the seriousness of the existence.

You can only try to escape and dismiss the elephant in your mind, but the fact remains, "The Elephant Is In The Room."

Nov 11, 2011

Heavy Question

"Everybody has to live for something. Whatever that something is becomes "Lord of your life," whether you think of it that way or not. Jesus is the only Lord who, if you receive him, will fulfill you completely, and, if you fail him, will forgive you eternally." 
(誰もが何かのために生きている。あなたがそう思うかどうかに関わらず、その「何か」はなんであれ、「あなたの人生の主」になるのである。イエスのみがあなたを受け入れ、完全に満たしてくださる。もしもイエスを失望させるようなことがあっても、あなたを永遠に赦す方である。)
Tim Keller(ティム・ケラー) 

"What do you live for?" is radically heavy question but still inevitable.
I found it that in Tokyo, though some will claim it is, not many are atheist but they are more likely to be secularist.
「なんのために生きるのか」というのは、甚だ思い質問であり、不可避なものでもある。
東京で気づいたのだが、多くの人は無神論者ではないとうことである。多くの人は、ここでは世俗主義者(という言葉を敢えて使う)であるのではないか。

Asked if they think there is something that they hope for in the light of eternity, they will answer "Well, I really don't know. I hope there is, but for now it is easier to hope rather than search for it.".
I have personally had conversation like that.
But in depth, we all live for something without exception.
So the issue logically and eventually comes to "what is it that you live for?" and "Does it give you eternal hope?" .
もしも、永遠に関して何か希望や望むものがあるのかと聞かれると、彼らは恐らくこうこたえるでしょう。「本当のところは分からないけれど、あったらいいなとは思う。でも、それについて思いを巡らしているよりも、望む程度にしておいて、今を生きる方が楽なんだ。」
しかし、本当は例外なしに人は何かのために生きている。そして、論理的に考えても、そこから「その『何か』は何か?」また「それは永遠の希望を与えてくれるのか」という疑問にたどり着くことになるのではないか。

If it is other than Jesus, they will fail you soon or later.
Why?
Because nothing is perfect here. This is something most people can agree. But Jesus is Perfect. He never sinned and stayed faithful, gracious, loving and forgiving.
He fulfill the law and imparted His righteousness to me.
もしもそれがイエス以外なら、その何かはあなたの期待にこたえることはできないでしょう。何故かって?それは、恐らくほとんどの人が合意できることがが、この世には完璧なものはないということが言えるから。
でも、イエスは完璧な方だ。イエスは天からこの地上に来て、人と同じ形をされて生きた時でも、罪を犯さず、誠実に、愛を保ち、赦しをもって生きられた。そして、律法を満たし、私たちにその義を与えてくださった。

We fail Him so many times, but He is full of grace; He forgives us when we come to him with repentance. Even at this very moment, He is working in and preparing  us for eternity.
He only can make my life full of meaning and satisfying.
そのイエスを私は何度となく裏切るようなことをするのだが、悔い改める度に私を赦してくださる。そして、その時でさえ私の中に働き、永遠の希望を与えてくださっている。
イエスだけが、私の人生を本当に意味あるものにしてくださる。


“Whoever drinks of this water will thirst again, but whoever drinks of the water that I shall give him will never thirst. But the water that I shall give him will become in him a fountain of water springing up into everlasting life.” 
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

Aug 31, 2011

演繹的?帰納的?

つい先日、デボーションで読んでいた第1、第2コリント人への手紙を終えました。
通読して気付いたことの一つは、パウロはコリントの人へ多くへ具体的な支持やメッセージを送っているのですが、それの教えはいつも帰納的ではなく、演繹的であるということです。

例えば、1コリントの1章。1ー9節までで、自分がキリストにあって何者か、キリストがなにをしてくださったかを説明して、10節で教会の一致を願っています。
1コリント6章の最後、20節では「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」と述べています。この一節の中でも、キリストの贖いから、神に栄光を帰るという演繹的説法が用いられています。その後の7章では、個別の罪について書いてますが、それは代価をもって買い取られた人ができないことを述べているのです。
また有名な御霊の働きについての12、13、14章の初めの12章3節で「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』ということはできません」とあります。この、「聖霊がなければ、キリストのための働きはまずあり得ない」という原点に立った上で、パウロは実践的な指導を与えているように思えます。
また他の有名な箇所、2コリント5:21(「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりとされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」)の後の6章から具体的なクリスチャンとしての振る舞いについて述べています。

Tullian Tchividjian(フロリダのコールリッジ長老教会の牧師)がヤコブを教え始めたとき、メッセージを準備していると、全てが帰納的に見えたそうです。しかし、1章1節の「神と主イエス・キリストのしもべヤコブ」という言葉から、「自分がキリストにあって何者か」→「クリスチャンの行い」という移行が見えたそうです。

キリストを信じ、長い間クリスチャンをしているとこのことを忘れてしまいがちになってしまうのではないでしょうか。ゴスペル『福音』が私たちの原点であるということ。キリストが私の全てになったときから、私たちに必要なもの全てキリストが与えてくれたということを。

現在スポルジョンの"Christ's Glorious Achievements"(キリストの栄光に満ちた業)という本を読んでいますが、1ページ1ページがフレッシュで、心に刺さります。
書いてあることは、知識としては、もう知っていることなのですが、スポルジョンの表現・評価・理解が私自身のゴスペル再認識を促しています。

これに関して、今度は、実際的な体験の面でのシェアもできればと思いますが。こんかいはここまでで。 BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

Jul 21, 2011

J-O-Y

JOY
=
Jesus First
Others Second
You Last

I was listening to radio program called Searchlight by Pastor Jon Courson.
He was teaching through the Epistle to Philippians. And the title of message was "Joy".

This is one simple key to joy. I think it's popular acronym for many.
To me, it was not new either. I heard it long time ago, and I wholeheartedly agree to the idea.
But his teaching on Philippians 2:3-4 really impacted my life.
3 Let nothing be done through selfish ambition or conceit, but in lowliness of mind let each esteem others better than himself.4 Let each of you look out not only for his own interests, but also for the interests of others.
I think my big question was how can I have joy??? "Others Second" is great virtue, but doing good does not  bring my joy always. And I thought it'll make me legalistic.
God totally broke me through through his teaching.

Pastor Jon explained that "esteeming others" will bring you joy.
"Everybody is better, in some area, than I am. "
I think this is something I have had trouble with. 
I knew I need to be humble before God. But now I think it is very easy to be humble before God. Why?? Because you can not beat God in any realm and area. God is Almighty!! How can I not be humble before him.

But with others, I think I am so quick to try to find in what I am better than he or she is.
Because I don't like to feel inferior!!!
And the thing is I am good at it!!! (which is horrible in face.....)

But Pastor Jon used very brilliant example that when he met pro baseball player and how excited he was. Why he was exited?? Because the player was so much better than he was, and being and interacting with such person brought him great joy.

This made so much sense to me!
Every one is better than me at least one or two area, in fact in so many!!
and it is my privilege to find out what it is. And when I find it, it will be my joy to be with such person from whom I can glean wisdom or experience and so forth.

I don't have to be feeling inferior but, rather, I can rejoice when I find myself to be with people whom I esteem better than me!!
I am so excited to put this in practice and have the kind of JOY!!

Jul 19, 2011

Already Won!!

Hi, there.
Sorry for not blogging such a long time.

This will be short but I will try to post more often from now.

I am STILL reading "Reason for God" by Timothy Keller and found this great quote which I really wanted to share with everyone.

This quote is in the chapter called "We can't trust the Bible Historically" in which pastor Keller talks about how we can find the credibility of the Bible.
There he quotes one historian's comment

(Dan Brown says) that the Emperor Constantine imposed a whole new interpretation on Christianity at the Council of Nicea in 325. That is, he decreed the belief in Jesus' divinity and suppressed all evidence of his humanity. This would mean Christianity won the religious competition in the Roman Empire by an exercise of power rather than by any attraction it exerted. In actual historical fact, the Church had won that competition long before that time, before it had any power, when it was still under sporadic persecution. If a historian were cynical, you would say Constantine chose Christianity because it had already won and he wanted to back a winner.
Yes!! Christ does not need political, academic or any human power back-ups.
He already overcome the grave and given us His victory!!

We are more than conqueror!!!

Nay, in all these things we are more than conquerors through him that loved us. 

人生の生き方

こんなにも間が空いてしまい、申し訳ないです!!

学校、アルバイトで忙しく、ブログをアップする時間が取れませんでした。
といよりも、取ってなかったというのが正しいかな。
なので、今は試験が近いですが、敢えて、時間をとって投稿します。

”「放蕩」する神”の続きです。
ケラー氏は、続いて人の人生のあり方について説明します。
「二人の息子=二つの生き方」です。
この二人の兄弟の話を通してイエスが表そうとしたのは、人が基本的に幸せや満足をどのように得ようとしているか、でした。
 人は皆、それぞれの生き方を持っています。そして、満たされたいと思っています。
ある人にとって自分を満たすものが、他の人にとっては真逆になることもありますが、結局は皆自分を何かで満たしたいと考えていることは共通しています。

「失われた二人の息子」は異なった生き方で、満たしを求めました。
兄は正しいことをすることで、弟は快楽・自由を得ることででした。
しかし、二人とも父親を拒絶しました。
弟は初めの段階で、父親の財産を持って出ていきました。
兄は弟が帰った後、父親に入るように言われた祝宴を拒否しました。
この二人の父親の拒絶は、彼らの生き方ゆえでした。

弟は快楽を得るために、父親のもとを離れました。
兄は、自分が正しいことをしているが故に、父の招きを拒みました。自分が正しいことをしているというプライドが壁を作っていたのです。

このことは、人が持つ罪のコアを表しています。
それは、人間の自己中心性です。
罪とは、単にルールを違反しただけにとどまらないからです。それは、自分自身を救い主、支配者、裁判官として、神の立場に置くことによるからです。二人の息子が、父親の権威をそれぞれのものに置き換えたように、です。
私たちは自分の人生は自分でコントロールしたい、善悪は自分が決めたい、自分にとって何が最善かは自分が一番知っていると思いたいのです。
私たちが自分自身の支配者、救い主になる方法は二つあります。一つはすべての道徳的基準を無視し、自分だけのコースを歩むこと、そしてもう一つは、すべての道徳的基準を守り、ただただ、品行方正な道に徹することを通してです。
私は何かしらの理由をつけて、この問題を避けていたことに気付かされました。
どれだけ、自分が兄の立場に近いかが怖いくらいに迫ってきました。
これまで、荒れた生活をしている人ほどイエスが必要だと思ってきました。しかし、そんな人も、逆に品行方正な人も、同じくらいにキリストを必要としているのだと教えられました。

最後にケラー氏が紹介した、有名なG.K.チェスタトンの話で今回は締めます。

ある新聞が、公開質問状をだしたことがありました。「この世界の何がまちがっているのだろう。」カトリック作家のG.K.チェスタトンは、このような簡潔な返信を出したことで有名です。「記者さま、私です。G.K.チェスタトン」。これこそ、イエスのメッセージの的を射た人の姿です。

May 22, 2011

放蕩する神

ハイサイ!!
久しぶりに本についての投稿です。^^/
最近読んだ本なのですが(5日で読んでしまいました!!)、
ティモシー・ケラーの「『放蕩』する神」<キリスト教信仰の回復をめざして>という本です。
Recently I have finished reading (in five days!!)
“The Prodigal God” by Timothy Keller.
初めに伝えておきたいのですが、この本は私に大きな衝撃を与えました!!このような衝撃はブリット・メリックの”Big God”以来だと思います。
I just want to say at first place, this book rocked me!!! Last time I had this kind of experience was when I read “Big God” by Britt Merrick.
この本は、まるまる一冊をルカ15章にある、一般に「放蕩息子のたとえ」と呼ばれる箇所に焦点を当てています。ここのイエスの教えから「キリスト教の核心に迫るメッセージ」をケラー氏は解き明かしています。
This entire book focuses on Luke15 in which the famous parable so-called “Prodigal son”. By taking us through this story of Jesus, pastor Keller explains the core message of Christianity.
これから幾つかの投稿に分けて、特に私の心に残ったところを紹介したいと思います。(全部やっていたら、著作権とかにも引っかかりかねないので・・・・笑)
I’d like to share some strong lessons I learned from this book in next few posts.
この本の特徴的なところは、このたとえの焦点を「放蕩息子」に絞っていないところです。むしろ、登場する「兄」と「父」により大きな強調をおいています。

「イエスでさえ、放蕩息子のたとえとは呼ばす、『ある人に息子がふたりあった』という出だしで話を始めています。聖書は、弟だけでなく、兄についても、また父親についても同様に語られているのです。・・・・ですから、私はこの話を『失われた二人の息子』と呼ぶほうが妥当だと思うのです。」
このように、ケラー氏は私がこれまで思っていたこのたとえの概念を壊すところから入ったのです、「失われた二人の息子」というタイトルをもって。
Pastor Keller started his writing with breaking of my idea on “Prodigal son”, by re-stating this parable as “the tow lost sons”.
確かに、ケラー氏の述べるように、考えても見ればこれはパリサイ人が取税人や罪人と食事をしているイエスを見てつぶやいているところから始まるのです。そして、「失われた羊」、「失われたコイン」の話のあとにこの「失われた二人の息子」が出てきます。ということは、この話は当時はパリサイ人にも向けられた話でもあったということです。
As pastor Keller writes, this chapter starts with Pharisees and scribes complaining after seeing Jesus dining with tax-collectors and sinners. So we can easily assume that this parable includes those “religious people” as its object.
ケラー氏はこう記します。

「イエスが言っていることはこうです。信仰深い、信仰深くないにかかわらず、どちらのタイプも霊的には失われているということだと。どちらの人生も、その結末は袋小路だと。そして、人間が歴史上あらゆる努力をしてきた、神との関わり方がすべて間違いだったと。」
つまりは、イエスは弟にも兄にも悔い改めを促しているということです。
Pastor Keller explains that whether you live a “religious life” or “unreligious life”, you are lost in spirit. And Jesus is calling both “older bother” and “younger brother” to repentance.
ここまでで、本のイントロとして紹介したいと思います。
次からもうちょっとトピックを絞ったものを扱いたいと思います。
This is my short intro for this book.
Starting next post, I will deal more specific things.
最後に一つ、ケラー氏の教会「リディーマー長老教会」はニューヨークのマンハッタンにあるので、ところどころその特徴が出ています。これは、同じ様な大都市である東京にも少しは当てはまるところはあると思いますが。
その一つが、「なぜ人は、イエスには好感を持つが、教会を敬遠するのか」という問いです。氏は、当時の祭司やささげもののシステムを持たないクリスチャンを「ローマ人はクリスチャンを『無神論者』と呼んだ。」と説明します。そうして、イエスの教えは「宗教家」よりも「宗教に無縁の者」の支持を受けたと説明します。そして、
もし、私たちの教会が、より多くの弟タイプを惹きつけていないとしたら、そこには私たちの予想以上に、兄タイプがあふれている」
と言う言葉で第一章を締めくくっています。
この言葉は、カルバリーの初期を想起させます。パスター・チャックがカルバリー・チャペルを始めた頃に教会にいた人は保守派の人々でした。しかし、そのような教会が惹きつけたのは、グレッグ・ロリーやマイク・マッキントッシュの様なドラッグや性的に荒れた人々でした。一体、「兄タイプ」とはどのような人なのでしょうか?後々、このテーマについては扱いたいと思います。

May 14, 2011

Conference Part2.

Every Year, our Calvary Chapel Japan Conference has been blessed by pastors from states. Some of them have been in Calvary movement for many years and I just gleaning stories and lessons from them.

This year, we welcomed 6 pastors from states. We had 6 sessions, so each had one session to share the Word with us.
I'd like to one of the teachings that stood out to me. 

Pastor Roger from CCCM shared from Psalm 73.


"Truly God is good to Israel, even to such as are of a clean heart."

After reading verse 1, he quoted Pastor Chuck' proverb, 

"We should not let go what we know for when we face what we do not know."

This was so "right on" to me!!!
I think many are still wondering what is going what is doing on in this world. Earthquakes, Tsunami and now Nuclear Power issue remaining to be big problem to Japan. 
Theologically, I knew that nothing happens out of God's control. Everything has its purpose in Him. 
But, seeing many fellow Japanese losing their lives, literally everything they had, the question "Why did God allow this to happen?" has been in my mind since then.

Pastor Roger took us through whole chapter and taught us how merciful He is, the need to fix our eyes on Him always, how He sustains us and how faithful He is to answer our cries, basically God's character.

I was like "of course I know it".
There, God started knocking on my door.
"Then why is your soul troubled??"
I was like "well, I just want to have an answer!!"
God tells me "I am the answer, am't I?"

I found myself wanting the answers to everything.
But, Bible tells that on this earth, we will not see everything, but will do when we see Him face to face.
Here silly me, trying to figure out everything....

The Bible reveals what we need to know and there is so much more to learn for me!
His Word teaches me
that He is merciful. (Psalm73:1)
that He gives grace upon grace. (John1:16)
that He works all things for our good.(Rom.8:28)
that He is just and true. (Psalm89:14)
that everything comes from and goes to Him.(Rom.11:36)
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Just looking those versus gives peace to my heart. 
I Love How His Word works in my heart!!

I don't have answers to everything, but I hold on to what I know about Who, What and Why I believe in times of difficulty and questions!!

Apr 18, 2011

Tohoku Trip Part1

Ok, here is my real report about Tohoku.

I joined the work of Calvary Tohoku Relief (you should check out their blog !!)
Several Calvary churches got together and has been working in Miyagi pre-facture.
Since you can check out what we/I did in the blog, I'd like to write my thoughts and what God spoke to me here in this blog.

But one practical thing I can share is that THEY ARE STILL IN NEED!!
After a month, I thought there will be many volunteers and supplies, but the fact was different. Especially they need man-power who can clean up the houses that have been affected or damaged by earth-quake and tsunami.
So if any of you are still concerned and praying about going there, KEEP PRAYING and if God opens the door, I'd say, "JUMP IN!!".

I think I learned two big lessons this time.
here I share one of them.

it is......
 "UNITY OF THE CHURCH"


This team was consisted of people from different churches (but all Calvary related though. I Love Calvary Church!!).
So, you can say that we have different backgrounds and cultures and it can be said that it'd take little bit of time to perform good team work.

But, here is cool thing though,
We gathered in one Name, Jesus Christ, and one purpose, His Glory!!!
This was so enough to bring us together and strengthen our ties.

It didn't take even a day to perform good team work.
We got there at night and our work started rolling like a Mercedes or Ferrari.
It was just B-E-A-U-tiful !!!!

Every night we'd pray for one another, almost every site we visited we prayed for and sometimes with the locals!! ( so cool to see people' hearts are being opened! )
Prayer was a big factor that enabled us to keep our focus right. Without prayers, we'd have been just "laboring", not actually ministering to people!!!

I had had a mind/desire to share my faith with people there. But most of what I did was physical labor, cleaning houses and shoveling mud and didn't get to talk a lot.
But my heart was filled with joy every night. Because I'd share every night what each member did during the day with everyone, I knew some one was sharing with and loving on people and it became my joy!!

I felt God was saying "you did your part and others did their part, but in the end, it's all for Me right?".
I was like "YES LORD!!!"
I was reminded of the song "All to us" by Chris Tomlin


Let the glory of Your name be the passion of the Church 
Let the righteousness of God be a holy flame that burns 
Let the saving love of Christ be the measure of our lives 
We believe You're all to us 


"from whom the whole body, joined and knit together by what every joint supplies, according to the effective working by which every part does its share, causes growth of the body for the edifying of itself in love."

Ephesians 4:16

Dec 24, 2010

So it is gradual....


Therefore, my dear friends, as you have always obeyed—not only in my presence, but now much more in my absence—continue to work out your salvation with fear and trembling, for it is God who works in you to will and to act in order to fulfill his good purpose.
Philippians 2:12-13
I have been reading a book called "Fit for the Master's Use" by F.B.Meyer. It's really old book but has given me much inspiration so far.

I'd like to share one little portion with you this time.

So God deals with you and me. He does not turn the heart upside down and empty it of every sin at once. First the twilight, and we put away obvious sin; then morning, and we put away other sins not seen before; then eleven o'clock in the morning, and we put away deeper sins that we had missed; until it comes sins, the small dust we had missed. We see deeper, deeper down, and every year a man is saved more completely from the power of known sin. So it is gradual.

You see how kind God is??
I am so amazed at His kindness in working in my heart.
We all have to admit unless God works within us, we cannot substantially changed.
He does bring radical change sometimes, but most of the time, He deals with us gradually.
He does not show us above what we can handle.
As we read the Word and meditate upon it. He, through the work of the Spirit, shows and convicts of our sins.
At same time, He perfectly knows how much we can handle and helps us go through.

I trust in this Gracious and Merciful God.

「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおおのいて自分の救いの達成に努めなさい。
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立たせ、事を行わせてくださるのです。」
ピリピ2:12−13

最近読んでいる本に、F.B.Meyer著の「Fit For The Master's Use」(訳:主に用いられるのために)というのがあります。
これまで読んでいて、多くのインスピレーションを受けました。
その中の一つをここでシェアしたいと思います。(がんばって訳してみます)
「このように、神は私とあなたを扱われます。神は心をひっくり返して、一度に心にある罪をすべて取り除くというような事はなさりません。初めに、薄明かりがあり、私たちは明らかな罪を取り去ります。そうしたら、朝日が来て、私たちはこれまで見れなかった他の罪を取り去ります。そして、午前11時になるとこれまで見落としていたもっと深いところの罪を取り去ります。私たちはだんだんと深い深いところを見て、年を重ねる度に人は知られている罪の力からさらに完璧に救われるのです。そういうわけで、それは漸進的なのです。」

私は、このような神の恵み、優しさに感謝します!
自分が圧倒されて、諦めたくなるような目には神は会わされないのです。
むしろ、一つ一つ、みことばを通して、罪が示され。一つ一つ、神の助けをもって、取り扱っていく。それが、クリスチャンライフ!

本当に、このような神が私の神であることは感謝以外の何ものでもありません!

主に栄光

Soli Deo Gloria

Nov 2, 2010

The Suffering of God

So, I will try to make this post as well bilingualed as possible. (I just made the word up)

I have been reading "The Reason for God" by Timothy Keller, Pastor of Redeemer Church in NY.
In this book there is a section called "The Suffering of God" and it really hit and spoke to my heart so I want to share it with you.

We cannot fathom, however, what it would be like to lose not just spousal love or parental love that has lasted several years, but the infinite love of the Father that Jesus had from all eternity. Jesus's sufferings would have been eternally unbearable. Christian theology has always recognized that Jesus bore, as the substitute in our place, the endless exclusion from God that the human race has merited. In the Garden of Gethsemane, even the beginning and foretaste of this experience began to put Jesus into a state of shock. New Testament scholar Bill Lane writes: "Jesus came to be with the Father for an interlude before his betrayal, but hell rather than heaven opened before Him, and He staggered." On the cross, Jesus's cry of dereliction - "My God, my God, why have you forsaken me?" - is a deeply relational statement. Lane writes:  "The cry has a ruthless authenticity.... Jesus did not die renouncing God. Even in the inferno of abandonment he did not surrender his faith in God but expressed His anguished prayer in a cry of affirmation 'My God, my God'". Jesus still used the language of intimacy - "my God"- even as he experiences infinite separation from the Father.

The section that comes before is called "Comparing Jesus to the Martyrs". I once wondered almost same thing; "In our theology, Jesus bore all the suffering and pain that we experience. But Peter died on the cross that was turned up side down. It sounds more excruciating. Why was agony of Jesus was great?".
Pastor Timothy Keller nailed it!!!
Losing a relationship that had lasted from the beginning of the time? oh my.....

I am so glad to meet this book.
Now I understand little more about Jesus!!

I really believe every Christian should study the cross of Jesus in his or her live.
I want to study and know more about His Cross and Suffering and Resurrection!!

"Lord, help me to know how much it cost
 to see my sin upon the cross...." 

Glory to Him

最近読んでいる本に、ニューヨークのリディーマー・チャーチの牧師、ティモシー・ケラー師が書いた”The Reason for God"(神のための理由)(直訳すぎるかな?)という弁証論的なのがあります。

そこの「神の苦しみ」というところがとってもよかったので、みなとシェアしたい!
頑張って、要約すると、
ケラー師はまず、その前のセクションでイエスの苦しみと殉教者の苦しみがどうちがうのかという問題を提示しました。
このことは、私も考えていたことでした。私たちの神学では「イエスが人類の全ての苦しみ、痛みを背負われた」というのがあります。でも、逆さ十字架にかかったペテロや、もっと残酷な殺され方をした殉教者は多くいます。それでも、イエスの苦しみの方が大きかったのか?という疑問です。
ケラー師は続けて、「痛みというのは、引き裂かれる関係による。そして、その関係はそれを築いた質、そして時間に比例する」という説明をします。つまり、親と子は家庭で時間を過ごし、短くとも親子関係というとても濃い質の関係があります。また、友人だったら、時間をかけて築く関係や、いきなり意気投合するということもあるかもしれません。関係の発展は色々な形をとります。
御子イエスは父なる神と時間のはじめからともにいました。そこで、完全な一致を保っていました。しかし、神は人を救うために御子イエスを地に遣わしたのです。そこで、イエス・キリストは十字架にかかって死なれました。そのとき、よみに下ったのです。つまり、永遠という関係にあった、御子と御父の関係が始めて断絶されたのです。

その苦しみは私には想像できません。でも、イエスの味わわれた苦しみがこれまでよりも、すこし理解できるようになりました。
私たちは死んでも、神と共にいるということを知っています。しかし、イエスはそこから引き離されたのです。
クリスチャンにとって、イエスの十字架を知ることは人生をかけて学ぶべきことだと思います。私も、これからももっと十字架を、キリストの復活をしりたいと思ってます。

Aug 31, 2010

The normal does the unusual

Jesus looked at them and said, "With man this is impossible, but with God all things are possible."

So I finished the first book of the summer, "Big God".
If you graciously follow this blod, you've heard many times I quoted from this book or the author Britt Merrick.

In the book, I studied Hebrew 11 aka "The Hall of Faith".
I saw the life of.....
Adel - faith worshipping
Enoch - Faith walking
Noah - Faith Working
Abraham - Faith Willing
Sarah - Faith Waiting
Abraham with Isaac - Faith Well-Tried
Moses - Faith Winning
Rahab - Faith Welcoming
David and the Rest - Faith Warring

One big thing I found throughout this book is that there people are so normal but did great things.
I know Bible records that Noah was drunk, Abraham lied, Moses was afraid. Rahab was prostitute and David committed adultery.
Pastor Britt in epilogue writes
"When you look at the list, you really have no excuses. These are the examples given to us in God's Word. They weren't great people, but they had great faith in a great God. At the critical moments of their lives, they exercised great faith and made the right faith decisions."

What a challenge!!
I always put those people in "the hall of faith", seeing so different from myself.
They were so great, bold and courageous I would think. And I am an ordinary man who might be able to do little for God.
I thought that to be faithful to the "little" was what I need to do.

In the sense, I was wrong.
I can do so much more if I trust and love the Lord more!!
Because they didn't earn faith, faith is a gift from God!!
In Him, I can do any thing!!!
"For by grace you have been saved through faith, and that not of yourselves; it is the gift of God, not of works, lest anyone should boast. For we are His workmanship, created in Christ Jesus for good works, which God prepared beforehand that we should walk in them."
Ephesians 2:8-10
Glory to God

Ready to talk??

Last Wednesday, I had a great opportunity to attend the very special class at Tokyo University. Th guest teacher for the class was Prof.  Michael Sandel from Harvar Univ.. 
(in this building, the class was held)
His class is called "Justice" which itself is really interesting to not only as a student but also as a Christian.
I watched his classes online and on Japanese TV. I happened to find the information of the class by going through internet sites while I was at work. (just make sure, I was going through my company' websites ok?) So I applied to the class not knowing that there was keen competition, the applicants were ten times as many as the fixed number. 
But, God totally blessed me and I received the acceptation from the office. (I typed wrong email address so they called me which it is another miracle!!)
class scene
His class is very unique in his style. Though the size of his class is about 1,000 student, he interacts with students and proceeds his teaching with discussing the problems of moral justice. 
In the beginning he mentioned to the talk that says Japanese are too shy to engage in discussion. Well, I thought that makes sense to some degree.

For example we discuss case like this
 a famous nineteenth century legal case involving a shipwrecked crew of four.  After nineteen days lost at sea, the captain decides to kill the weakest amongst them, the young cabin boy, so that the rest can feed on his blood and body to survive.  One of the reason they chose him was he was orphan and had no family but rest of them did. Another was that he drank sea water against other' opposition.
So, was the action they took was right?

There was really good discussion. He concluded saying "Japanese are ready to engage in deep philosophical discussion!!"

Yeah, they are ready!! 
As a Christian, I thought Japanese don't think about spiritual and much deeper problem in life, compared with people form west.
It proved to be I was wrong.
  
We can talk about that!!
"What's the meaning of life and death?"
"What is the truth?"

So it was really encouraging class.
I will talk little more on the discussion part next time.

Aug 28, 2010

With bros !!

"The human body has many parts, but the many parts make up one whole body. So it is with the body of Christ. Some of us are Jews, some are Gentiles, some are slaves, and some are free. But we have all been baptized into one body by one Spirit, and we all share the same Spirit."
2Corinthians 12:12-13

One of the great thing about having good fellowship is to have good brothers and sisters in Christ with whom we can encourage one another to follow Christ.

Our out-reach wasn't about music, worship song. But really, it was about spreading the good news of Jesus Christ.
So while we were playing music, others were passing out flyers that has information of our different church services, some were even able to engage in conversation with people sharing from Bible!!




I am so blessed with work for the Kingdom of God with those godly men and women.