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Dec 21, 2013

「採用基準」× ミニストリー 的な・・・

久々のブックレビューです。
(「グリード」シリーズはまた後ほど www)


「ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶ  ベスト経営書2013の結果発表」
でも2位に選ばれました、伊賀泰代氏の本「採用基準」。

沖縄ですら(ビジネス書とは関係が薄い書店ばかりなので・・・)、この本をよく見かけていたので、本に関しては反ミーハーな私は抵抗感バリバリでした。
ただ、社会人二年目でなんとなくキャリアステップについて考えだしていたので、「こんなに評判名なら」ということで、購入してみました。

結論。

「この本読まなきゃ、損をする」

というレベルです。
こんな、ビジネス書に出会ったのは、本当に久しぶりです。
以下、社会人二年目の生意気小僧がめっちゃ生意気にもこれまでの経験を踏まえて、感想を綴ります。
そして、下段にはこれとミニストリーの関係についても記述してみました。

この本の著者の伊賀泰代さんですが、一橋卒(親近感)→日興証券(女性で?)→UCバークレーでMBA(まじ!?)→マッキンゼー(ここでエンゲージメント・マネージャーまで上がった後、採用マネージャーへと転身)という経歴だそうです。
彼女の時代の一橋とか、全学の1割くらいしか女性がいなかったんじゃないかというレベルなので、私とはまったく異次元のレベルにいるんでしょう。

ただ、この本のストーリーは非常に地に足の着いたものでした。
「採用基準」ということなので、彼女のマッキンゼーでの採用経験からの経験が多く含まれた内容となっていて、どのような人材を採用していたかが主なテーマとなっています。
ただ読んで気付くのは、「採用基準」という『採用』に特化している本ではなく、どちらかというと「日本人とリーダーシップ」といった内容になっています。

「実はマッキンゼーが求める人材は、今の日本社会が必要としている人材とはまったく同じです。まさか多くの人が『これからの日本には地頭のよい人が必要だ』と考えているわけではないでしょう。同様にマッキンゼーも、地頭が良ければ採用したい、と考えているわけではないのです。」

このように、マッキンゼーが欲しいと思っている人材は、これからの日本にも求められる人材という前提にたっての話になっています。なので、マッキンゼーの話ばかりですが(本人もあとがきにそれに関して言及して、だからといってマッキンゼーが完璧ではないということも言っています・・)、それが引いては社会に求められる人材だと。

日本では、本来、成果目標を問うべき状況であるにも関わらず、その目標が明確にされないために、みんなが“和”を優先し、誰もリーダーシップを発揮しないことがよく起こります。
分かりやすい日本の「ことなかれ主義」(FacebookでもMiyukiさんにコメント頂きましたが)の代表です。
実際、あるんです。

他部署の判断に口を出さない人たちは、組織の和や組織の秩序を、ビジネス上の利益最大化という成果目標より優先しています。こういった職場では、リーダーは必要とされません。全員が空気を読んで、「他部署のことは他部署の人に任せておこう」という思考停止を選択するからです。
ということが。

ここの決定的な問題点は「思考停止」ということなのではないでしょうか。無論、そこで問題を認識しているから、そこまでは思考が及んでいるわけです。ただ、それ以上踏み込もうとする思考がない。これが自分にも当てはまり、かなりドキッとしました。
リーダーには与えられた数値を達成するという単純な仕事(これはマネージャーの仕事)を超えたところにある、「より高いゴールを設定する」ということが求められると。
自分が二年目になって、ひと通り仕事を覚えてしまって倦怠感を感じることがあったのですが、それは自分が与えられた仕事をただ実行するエクスキューターになっていたからなのでしょう。

組織も個人も、ただただ上からの変化に対応していくだけになってしまうと、レベルアップは望めないということです。
成長する組織・個人は「さらなる高み」を目指していないといけない。
それには、上からの変化、周りの変化も利用してもよいのではないでしょうか。
とにかく、今年の反省は「自分の仕事を覚える」という目標達成に満足してしまったことです。

成長の頭打ち感を感じながら働いている人は、その間、チャレンジングな仕事をしていません。必死に挑戦しなければ達成できない仕事ではなく、粛々とこなしていばできるレベルの仕事をしています。こういう仕事を一定期間以上続けることは、さまざまな形でその人の可能性を減じてしまいます。

では、目指すべき高みとはどのようなものでしょうか。
目標を掲げ、先頭に立って進み、良く道の要所要所で決断を下し、常にメンバーに語り続ける、これがリーダーに求められている四つのタスクなのです。
目標を掲げる・決断を下すということは、なんとなく受け入れやすいものでした。しかし、「先頭に立って進む」「常にメンバーに語り続ける」ということは、あまりリーダーシップと結びつかないのではないでしょうか。とくに後者の方は。

組織に必要なものはビジョンなのではないでしょうか。
トップダウンとボトムアップは二律背反のように思われるかも知れないですが、実は前者があるから後者が存在すると思うのです。
もしも、ボトムアップがある組織は、その環境をトップダウンで作り出しているからなのではないか。トップダウンがないボトムアップはただの反抗的集団と思われてもしょうがないのかと。

それでも、どうしてもリーダーシップは私とは程遠いように感じていました。しかし、伊賀氏はそこにも斬り込んでくれています。
チーム内にリーダーが複数いることは決してマイナスではありません。むしろ全メンバーがリーダーとしての自覚をもって活動するチームは、「一人がリーダー、その他はみんなフォロアー」というチームより、明らかに高いせいかを出すことができます。
私にかけていたのは、自分にもリーダーシップが必要だということだったのです。
これまで組織と個人を並列に書いているのは、そのためです。

そして、そのリーダーシップの訓練の場は、あらゆる場面で求められいるのだと。
伊賀氏が挙げたのは、電車事故によってできたタクシーへの列です。
多くの人が時間に遅れてタクシーを待っているような状況でも、秩序正しく一人一人タクシーに乗って行く。これは、日本人の素晴らしいところと良く言われます。確かにそうでしょう。しかし、そこで一人が「私は〇〇方面へ行きます。一緒に乗りたい方、いらっしゃいますか?」と声をかけられれば、料金も安くなり、待ち時間を節約でき、少しでも早く目的地にと着することに役立つのですが、誰もそれを行わないということです。

「(;・∀・)ハッ」とさせられました。
本当にそのとおりなのだと。
現状に満足して、それ以上を求めず、気づいても合理化して勝手納得している自分。
それでは何もよくならないし、変化しません。

リーダーシップは、これからの世界を生き抜く人たちのパスポートです。組織とは、所属し、守ってもらうものではなく、率いるものになるのです。

とういことを自覚し続けねばならないと。


そして、ミニストリーにこの「リーダーシップ論」を誤解を恐れず持ち込んでみます。

ミニストリーの現場においてもリーダーシップは必要なのではないかと。
勿論、「従う」ということは大切であり、ミニストリーにおいてはキーとなることです。
しかし、「従う」ことと「リーダーシップ」は両立すべきなのです。

この本でもリーダーはただグイグイ率いるのではなく、他人の意見が正しければ目的達成のためにそれを採用することができる人だと述べられています。

聖書に従ったミニストリーは、必ず従順を求められます。
ただ、聖書言う信仰が盲目的信仰なのではないのと同様に、この従順も絶対服従ではないということです。(此処での従順は人との関係の中での話しに限定)

例えば、ふとしたことで「こうしたらもっと良いのに」とか「これができればもっと効果的にミニストリーできるんじゃないか」と気づいたことがある人は多いのではないでしょうか。

そこで、それについて何か行動を起こせるリーダーシップが発揮されるのです。
私も「でもリーダーの人が決めてくれるはずだから、黙っておこう」と思っていることが多いのです。そして、それを従順になっていると決めつけていました。

しかし、そうのなのではなく。「果たして本当にそうするべきなのか」「では、どのような行動が取れるのか」「どうアプローチすると良いのか」ということを、祈り・考え抜くことが求められているように思います。

全てをリーダーというタイトルの付いたごく限られたグループに任せてしまう教会は危ないように感じます。
みなが、オウナーシップをもち、「自分がミニストリーに何ができるのだろう」と考えているミニストリーはもっと成長すると思います。
無論、そこには今続けていることを守るということ。特に、聖書の教えはそれなのですが、保守的になるべき部分は間違えなく有ります。

また「常にメンバーに語り続ける」ということは、ビジョンを伝えるリーダーなのでしょう。最近読んだ使徒の働き2章でペテロが引用するヨエルの預言『青年は幻を見て、老人は夢をみる』について、J.C.モルガン氏は「我々が恐れるべきは聖霊の導きに鈍感になり、幻も夢も見れなくなることだ」と述べていました。

その通りで、ミニストリーにはビジョンが必要なのだと。
それして、それを私たちはともに祈り、みことばを学ぶ中で求めていく必要があるのだと感じました。

仕事+ミニストリー においてもリーダーシップ、本当に身につけたいスキルです。



Sep 29, 2013

「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」「ロスジェネの逆襲」池井戸潤

今回は3冊まとめてのブックレビューを書きます。

もはや、言わずと知れたドラマ「半沢直樹」の原作です。

因みに、今回放送されたドラマは最初の2冊「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」が原作となっています。
(ニュースを見ていると、第三作もドラマor映画になるようですね。(^^)

まずは、初めの2作品。
ドラマでベーシックな部分を掴んでいたので、割りと簡単に読めました。

そして、ドラマがかなり原作に忠実であったことが分かり、とても驚きました。

大きな違いといえば、半沢の同期が三人衆ではなく、四人衆であること。実家のネジ工場の融資を引き上げたのが、大和田常務ではないということくらいでしょうか。
(あ、最後の場面はかなり異なってましたね。(;・∀・))
後は概して、原作通りでした。

ドラマでもそうでしたが、この作品に惹かれる理由は、主人公半沢の歯に衣着せぬ物言いと、正義を遂行、悪を退治する姿なのではないでしょうか。
私も、そういった部分はすきです。ただ単にハッピーエンド好きと言われればそれまでですが・・・・

しかし、もう一つの魅力は、「サラリーマンって何なんだ」という問題的をする部分ではないでしょうか。
銀行というかなり特殊なセッティングではあるものの、上司と部下、人事と自分の希望、組織と個人という様々なよそが混ざり合いながらも、読者には中々客観視できない部分を見せているように感じます。

無論、私のような社会人二年目の小僧が、「すごい分かるよ!」なんて作品が少々ドラマタイズされていることを差し引いても言えません。
しかし、仕事に対する姿勢を見直す機会になったのかなとは思います。

ただ、私としてはもうちょっと銀行と金融業界を取り上げたのだから、もうちょっと金融ネタがあって勉強できると良いかななんて思いました。

そして、まだドラマ化されていない三作目「ロスジェネの逆襲」です。

これは、ヒットでした。

M&Aが仕組まれたこともあり、金融ネタも入っているだけでなく、前2作品では見えなかったものが見えるようになった作品です。

衝撃的な終わり方だった「花のバブル組」からの続きで、出向先での話になっています。

M&Aに関しては、やはり真山仁のハゲタカシリーズの方が詳細に書かれていて、スキームもとても興味深く勉強になるのですが、M&Aだけではなく、そこに池井戸作品にある、サラリーマンの正義という要素が入っていることが本作品を興味深いものとさせているのだと思います。

半沢が銀行一筋、しかも営業畑でキャリアを積んできたことを考えると、今回のような見事な買収防衛策を思いつくとは中々考えにくいですが、そこはヒーローなのでそうなるものはそうなのだと。

ただ、2点、これら三作品をまとめ挙げるような点に気付きました。

まずは、サラリーマンの生き様です。
これは、人としてではなく、サラリーマンという組織人という限られた世界での話です。
(仕事=人生ではないと個人的には信じていますが、やはり人生の大きな部分を占めるものですから、完全に切り離すことはできないのでしょうけれど。。。)

「人事が恐くてサラリーマンが務まるか」
という半沢直樹の言葉に集約されています。
一体仕事は何のためにやっているものなのか。人事という、ある種ブラックボックス化されている世界。その不明確さはやはり、ある程度怖い物があります。
しかし、人事と仕事を対比させることで、仕事の目的を問いかけているのではないでしょうか。

伊勢島ホテルのときにちらっと見えましたが、今回の証券会社ではアドバイザリーという本当に顧客第一が問われる仕事を与えることにより、半沢の仕事に対する姿勢・理念を上手く抽出して見せてくれた気がします。

その仕事を人事のために利用した登場人物がいたこともあり、半沢の正義感が全面に押し出されていました。
それが、このシリーズを痛快なものにした理由なのでしょう。


第二には、世代間ギャップです。
このシリーズには、「バブル組」と「ロスジェネ(ロスト・ジェネレーションの略)」、そして「団塊の世代」という3つの世代間のギャップが書かれている。
このことは、ロスジェネを読んでやっと気付きました。

バブルを盛り上げるだけ盛り上げ、尻拭いはバブル世代にさせるという、バブル世代がもっている団塊世代への嫌悪感。
バブルというだけで楽な人生を送ってきた反動で、不条理な世の中で生きるハメになったと考えるロスジェネ。

この世代間ギャップ、見えないながらも存在するものがとても上手く書かれている。
確かに、メディアがそうなのかは知らないが、やたら各世代に名前をつけたがるのは、古今東西同じように見える。

因みに、私の世代は「ゆとり世代」と「さとり世代」の過渡期くらいの世代なのでしょう。まあ、名前の通りあって、あまり世代間ギャップを意識して生きていない世代だと思います。

それだけに、今回見せられた世代間ギャップはとても新鮮でした。

ただ、半沢の訴えかけは、「世の中の矛盾や理不尽と戦え」という、そういった世代や組織のせいにして生きて行くのではなく、自分の力でそれは変えていけというものでした。

私ももしかすると、これから社会や会社の不条理・理不尽に直面するのかもしれません。

そのとき、半沢みたいに思えるのか。思いたいものです。

少し脱線しますが、今日ちらっと本やで読んだのですが、「世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか」という本のなかに、ハーバード・ロースクールのトップ学生のインタビューがありました。マッキンゼーを辞め、ロースクール入り人だということです。マッキンゼーでも、ロースクールでも仕事・勉強量は圧倒的な量があると。その中で、平静を保つため、余裕を持てる理由は何かと問われた彼は『信仰心』だと答えました。

クリスチャンとしての信仰心が一番に彼を支えているのだと。
神は全てを見通している。肩書きや、成果、表面的な物で自分の価値が決まるわけではない。それを知っていることが、彼を支えているのだと言っていました。

私も彼のように、信仰によって(勿論、そこから生まれる成果によってでもですが)違いを作り出す人になりたいです。

それが、「どこに行かされるかは知らないが、行ったところでベストを尽くす」という半沢の言葉の私なりの適応です。

神がコントロールを握っているのだという確信と、そこには必ず目的があるという自覚によってクリスチャンとしてサラリーマンを生きたいと改めて思いました。

May 19, 2013

藁の楯を見てきた・・・・


先日、いつものようにふらっと映画を見たくなったので、こちらの映画大沢たかお・松嶋菜々子主演の「藁の楯」という映画を観てきました。

若干、最近見たばかりのSP(岡田准一のやつ)に似てるんだろうな、とも思いながら、今ある映画でこれくらいしか興味をそそらなかったため、こちらにしました。

まず、映画としての感想から。
日本映画らしく、「大袈裟でアンリアル」なところはあまり抜けだせてませんでした。
しかし、単なるハッピーエンドで終わらせないところは、力強さを感じました。さらに言いますと、アンリアルと言いながらも、警察の「税金の無駄遣い」という映画中で表現があったからこそ、今回のはあある程度リアリスティックな仕上がりになっていたとも感じてます。
キャストでは、大沢たかおの演技はやはり鉄板でしたね。観ていて、引きこまれていく力がありました。松嶋菜々子は若干、お年を召された感が否めません。。。。。
藤原竜也の「清丸」役、正直怖かったです。彼は、このような「狂った」というか、ぶっとんだ様な役を演じることが多いと思うのですが、今回も観ていて怖くなるような演技でした。

そして、個人的な感想です。
映画の中で繰り返し使われた言葉、そして本作のテーマ(なのではと思っていますが)でもある言葉がとても強く胸に刺さりました。

「こんな奴、守る価値あるのか?」

清丸国秀という少女暴行殺害犯の護送という、本来なら用心警護に当たるはずの主人公、銘苅警部補と白石巡査部長。しかし、この男に懸けられた10億円というお金が人々を狂気の沙汰へと引きこんでいく。
護送チームの若い刑事の神箸が撃たれ、死ぬ間際に「あんな奴、ほんとうに守る価値あるのか?」と言い残し息を引き取りました。正義に燃えていた熱い人物でした。
そんな中でも、彼を命がけで守ろうとする二人。裁判員裁判にかけられればほぼ死刑が確定のこの男を何で守る必要があるのか、それは「守れと言われた人を守るのが仕事」だと割り切ろうとしている二人も、ずっと自問していることであった。
私も作品に引き込まれる過程で、「手を抜いてしまえば簡単に他人の手によって殺される。そして、それによって他の人の狂気を止め、一人でも多くの人が助かるのならその方が良いのではないか?」と思いました。
まるで人が苦しむのを楽しみにしている、人の命を何とも思っていない清丸の態度を観ていると怒りさえも覚えました。

しかし、それを観終わり、少し考えました。すると、一つのことが頭に浮かびました。

「イエスの十字架も、そうじゃないのか?」

最近読んでいる本が、チャールズ・スポルジョンの「ただ恵みによって」という本です。
彼はこの本の中で、キリストの十字架の意味を、驚きをもってこのように述べています。

「私は、自分が一片の無価値な存在、背徳のかたまり、罪の山であり、神の全能の愛の前から全くかけ離れていることを知っています。しかし、キリスト・イエスを信じる信仰によって私は義とされ、ちょうど全く正しかった者のように扱われ、そのうえ神の相続人、キリストとともに相続人とされているのです。・・・(中略)・・・私は、自然の性質からすると最も罪深い者の一人であることに違いないのです。まるっきり値打ちがない私が、価値のあった者のように扱われるのです。」
清丸という男を自分に重ねることができると思いました。
彼ほど、道徳的に腐敗していないし、人を傷つけていないですが、それでも神の前では自分の道徳や正しさはこれっぽちも通用しないと。
そして、銘苅と白石が問いかけた問題は、十字架にも言えることではないでしょうか。
「私にそんな価値はあるのか?」と。

「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちが罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を明らかにしておられます。」ローマ5:7−8
この意味の深さを、まだ私が理解しておらず、軽々しく扱っていたと痛感しました。
自分の罪深さをまだまだ理解できていない自分を知りました。もちろん、知りたいとは思いません(感覚的にです)。ですが、神の完璧さに触れるともっとそれが明らかになるのだろうと思わされました。
清丸に対するイラつきや怒りは、彼自身の悪行ではなく、そんな彼を命を賭し、傷つきながら守る銘苅たちの姿の方が大きなトリガーとなっているのだと感じました。
こんな人間のために、ぼろぼろになっていく有望な彼らを見ていられなかったのです。

もちろん、銘苅とイエスを完全に重ねることはできませんし、それは失礼なことです。
しかし、意味においては、似ているのかと。

イエスの正しさ、完璧さを見ると、自分のために死んだということに対し、ある意味「なぜ?」という思いと、驚嘆の念を覚えざるを得ないのです。

まだ、スポルジョンの本は前半ですが、この「不敬虔な者が義とされる」ということ、もっともっと深く知りたいと思わせてくれる映画でした。

Oct 1, 2012

The Holiness Of Leading Worship

I recently read this article at CalvaryChapel.com.

read the post here ↓
http://calvarychapel.com/blog/the-holiness-of-leading-worship

It is written by Pastor Bill Walden who himself was worship leader.
I really like his posts there especially ones about worship.

It was titled "The Holiness Of Leading Worship".
This topic is hard to hear and appreciate to me.
Only because I so often find myself unholy and ungodly.
Yet, this idea has changed and shaped my approach to leading worship radically as well.

I still remember vividly.
It was when I was freshman in university. During summer, I was watching DVD series called "Pure Worship Conference" which was held at Calvary Chapel CostaMesa and led by Scott Cunningham.

One of the speaker was pastor John Randoll.
He taught from Leviticus 10, story about Nadab and Abihu; teaching how carefully we need to approach to worship of God and keep it holy and God's way.
I have written this here before but it was life changing message to me.
Absolutely pivotal moments in my life.

Nadab and Abihu, he thought what they were doing was good and cool. (In their eyes). BUT, it was violation of God's word!!!
The consequence of it was their death. They brought wrong fire and fire from above fell on themselves.

In leading worship, there are so many temptation to bring out own fire.
Remember how Aaron needed to do his work as priest?
He had to be consecrated and cleansed. Only after then, he was able to enter into the tabernacle.

We must not bring wrong fire to our worship.
My temptation in leading worship is "coolness", "ritualisticalliness"(is this even right word??), "feelings"...ect. Really caused by the mind that doesn't take the task seriously  enough.

I think it was Robert M'Cheyne who said something like "As a preacher, the greatest thing I can give to the congregation is my own holiness.".
It is same for any ministers and especially to worship leaders that stand on same stage as pastors.

Let us remind of this fact.
but as He who called you is holy, you also be holy in all your conduct, because it is written, “Be holy, for I am holy. ~ 1Peter 1:15-16

Sep 28, 2012

Purposeful MInistry

The other day, some youth and I met for worship meeting and I shared about how we can develop our planning of songs.

I won't go into details about what I did there, but as I was thinking and struggling with the thoughts and ideas as to how I can explain the ministry to the young men and women.

One important thing I re-discovered was that ministry is purposeful.

Yes, there is no ministry that lacks its purpose. There is no ministry which we call "we just did it".
Our ministries need to be purposeful always.

As my mind was going through all the things I wanted to share and impart, I searched the reason why I do what I do.
"Why do I do what I do?" is a good question to ask yourself if you are in ministry.
Because we do things sometimes because it has been always that way, it seems to be accepted by everyone or you're simply told to do so. None of these is bad or wrong, but not enough.

"But you have carefully followed my doctrine, manner of life, purpose, faith, longsuffering, love, perseverance,......." 2 Timothy 3:10
Paul had a plan in his ministry. Of course, he was obedient to God's leading, yet, remember how eager he was to go to Rome and visit believers there? Furthermore, was it just for his liesure or vacation? No!! He wanted to have fellowship with them and to encourage them and be encouraged by them. That was his purpose.

Likewise, I think we can and need have plans and their purposes.

For instance, our time of worship consists of four songs; two fast songs and two slow songs. Main service follows mostly same pattern as well.
But allow me to be cynical a bit here.
Am I ready to give an answer when I'm asked why I do that way.
"Why did I choose this song?"
"Why do we greet after songs?", "Why do we stand while Scripture being read?"
There are so many "why"s we can come up with, and I am not saying we need to answer to all the question people throws at us.

But, the bottom line is that we know what we do and why do do.
Because that directs our behavior and how we interact with people we serve.

Our goal in ministry is to see "who received seed on the good ground is he who hears the word and understands it, who indeed bears fruit and produces: some a hundredfold, some sixty, some thirty.".

So I started thinking, "what can I do to serve for the purpose?", "how should I do it?". The gospel fuels my ministry for Christ. and Bible provides so many examples of fruitful and faithful ministries.

Our ministries must purposeful and it needs to be Gospel-centered.
Let's not forget this.

Mar 30, 2012

Rapping up the trip

So, I've totally missed the timing of this post.......

here is my excuse:
I have been super busy since the last three days in Sendai. Very hectic time!!

But finally I have sometime to blog now. Here is quick update of my life.

Tohoku Celebration of Hope was totally blessed by our Great God.
First day, the attendance was very small due to heavy snow and the day being normal day. Frankly speaking, it was kinda disappointing. But, we saw people coming to Christ, which gives great excitement regardless of the number.
Saturday morning was so cool. One of our friend, who is on staff of the crusade graciously invited us to their morning devotion. There, Franklin Graham made very good comment on last night. He said something like, "it can be seen as small, but regardless the heavy snow, hundreds of people came and heard message. Moreover, we witnessed people coming to faith in Christ. And it was already second largest Christian event in Sendai, what more can we expect next two days.".
I know Franklin had been on stage before thousands or ten-thousands of people, yet he thanked and gave glory to God for the night. It was very humbling to me.
Franklin Graham greeting attendees 
I also got to meet Bill Batstone, the legend of CCM!!!
God poured great blessing upon the next two days. We had seen hundreds of people responding to the invitation, lives being changed and smiles on their faces.

Oh, what did I do??
We were assigned to security, which means that we made sure no one without permission gets in regulated area and the guests are safe.
That also meant that we don't get to see the show on stage a lot since we are to be in back stage or ailes. But we had fun doing it and most importantly, it was simply blessing to just be albe to serve.
Kirk Franklin being interviewed
 Gospel presentation by Franklin Graham
 The bus driver of the PR bus came to received Christ!!
Our friend Yumi is interviewing him. 
 this is what we did...
this is what we saw....
Over 13,000 people attended the event and more than 400 people committed their lives to Christ over the weekend. WOW!
We had fantastic experience in Sendai. The team from Virginia did great job serving the people there. They represented Christ in the way only God can take its glory.

What I thought after this weekend event was this,
This is just a starting point. I don't think the number is big enough in a sense. 
We will see more and more come to Christ after this. This is just the igniter, the starting fire or the fuse for the larger fire that is about to come to the place. 
Please pray for Tohoku and Japan.
They are planning to hold crusades in other major cities in Japan including Hiroshima and Tokyo. 
I can't help expecting revival to happen in this nation. 

Would you join me in prayer for Japan?

Oct 22, 2011

"Church and churches" 「教会と教会」



最近、「教会」について考えることが多くあります。
色々なトピックについて考えるのですが、その1つは「教会と教会」です。
イエスは「この岩の上に私の教会を建てます」(マタイ16:18)と言われました。
Recently, I often think about "church".
In it, I think of different topics and one of them is "church with church".
Jesus said "Upon this rock I will build my church; and gates of Hades will not overpower it." Matt.16:18) 


ボトムラインとして、キリストの教会は究極的には1つであるということです。じゃあ、何故色んな教団があるかって?それは、ある部分においては一致できないこともあるし、スタイルの違いや、雰囲気もあると思う。でも、本質的な部分、例えば「信仰・恵みによる救い」、「キリストの苦しみ・死・復活の事実」、「聖書の至高性」などでは一致しています。それが、教会でしょう。
The bottom-line is, ultimately the church is one. So why there are denominations and divided churches?? I think the answer to that is we have some different points such as style of worship, atmosphere and different theological views....etc . But those are the minors. The true church will agree on the essentials such as "salvation through grace alone and faith alone", "Christ finished work for man's redemption" "Bible is God's revelation to man"... I think this is church.


私はカルバリー・チャペルというグループで育ち、ずっとその環境にいるので、あまり日本の教会事情に詳しくないことは確かです。ただ、カルバリーの中でも、僕のような人が、同じ世代の中で増えているのは確かです。
そして、そのような環境で育った私が一時期陥っていた間違った考えは、「カルバリー・チャペルだけが聖書を教えていて、バランスの取れた素晴らしい教会だ」というコンセプトです。
I grew up in Calvary Chapel church and have been in such environment, so I am not familiar to Japanese church circle, to be honest. And it is true that among Calvary Chapels in Japan, there are people like me especially in my generation. 
And I, having such background, once held wrong concept; "Calvary Chapel is teaching the word  and we are great. Calvary Chapel is the way to go.". 


もちろん、私はカルバリー・チャペルが大好きで、今後もカルバリー以外の場で奉仕することは考えにくいです。
これは、本当に間違った考えで、日本にも多くの「聖書を正しく教え」、「イエスを愛する」教会があります。このプライドに満ちた考えというのは、私だけの問題ではない、危ない傾向性だと思います。
Don't mistake. I love Calvary Chapel. and it's hard to imagine that I'm serving at other than Calvary churches.
This is very wrong idea and the fact is that there are many churches that teaches bible straight and loves Jesus. Still, I think such prideful thought is not only my problem and others need to check themselves as well.


8月の投稿でも言及したことが思い出されます。
そして、その対策というのは、"Major in minor"(「些細なことを大きく扱う」)ことをしないことだと思います。グレッグ・ローリーの言葉を借りるなら"agree to disagree"(「不一致に同意する」)ことが大切なのだと思います。
「確かに、私たちには一致できない事柄がある。でもそれは、そんなにも大切なことではないし、もっと大事なところでは一致できる。だから、一緒に働ける。」という姿勢なんだろうと。
I mentioned something like it in previous post.
I think one thing we can do is not to "major in minor". As in Greg Laurie' word, "We can agree to disagree.". It is to know that there are things we don't agree fully but the bottom line is that we agree on essentials, so it is possible to work together.".


このようなことを考えているためか、最近それを実践している例ともいえるようなイベントが目に留まります。
例えば、マイアミで来年開かれる"One Conference"というイベントです。
このカンファレンスはカルバリー・チャペル・ケンドルのペドロ・ガルシアがホストとなっているのですが、スピーカーは日本でも有名なヒルソングのブライアン・ホーストン、フランクリン・グラハムに加え、ハーベストのグレッグ・ローリーや私の大好きなブリット・メリック等です。
教団などの壁を超えた、すごくエキサイティングなイベントだと思います。

(因みに↓がプロモビデオです。)

OneConference 2012 | Teaser from oneconference on Vimeo.
I have noticed events that I think practice it lately.
One of them is "One Conference" in Miami. This is hosted by Pedro Garcia, seinor pastor of Calvary Chapel Kendall. But speakers are very various. For example, well-known in Japan as well, Brian Houston from Hillsong church, Franklin Graham, also Greg Laurie of Harvest Crusade and my favorite Britt Merrick.(There are so many great speakers.)
I think this is really exciting.

また、もう1つは、Elephant Roomというイベントでした。
これはジェームズ・マクドナルドによって開かれたイベントですが、参加者はカルバリー系のグレッグ・ローリーと、マーク・ドリスコル、マット・チャンドラー(この二人は改革系カルバン主義)、デイビッド・プラット、ペリー・ノーベルでした。
かなり背景の違う牧師たちが様々なトピックについて話し合うという、かなりユニークでしたが、とても洞察に満ちたものだと思いました。そして、彼らが違いを超えて、同じステージに立ち、このイベントを可能にしたことは大きなことだと思います。
Another is "Elephant Room".
It was held by James McDonald, Harvest Bible Fellowship. But other participants were Greg Laurie (who is from Calvary background), Mark Driscoll and Matt Chandler (reformists and calvinists), David Platt and Perry Noble.
These are the guys who have very different background and can disagree on good amount of things, but they come together despite the difference in the name of Christ and made it happen.
Btw, this is one great video clip I highly recommend everyone to watch.
the like is here.

そして最後に、英語で申し訳ないのですが、このメッセージは「教会」を考えるのにとても有益だと思うので、シェアします。
みなさんの意見も聞ければとも思います。
Lastly, I want to share this video that is very profitable to think about "church".
It would be nice to hear your thoughts as well.

Britt Merrick | Reality Santa Barbara | Why Are We Here? from Reality on Vimeo.

God bless