Aug 6, 2010

体験的?Or合理的?



「それでも神は実在するのか?」Byリー・ストローベル
は、すごい本です。

「弁証論」って、英語ではApologeticsっていって、キリスト教を弁護・弁証することを指すんだけれど、とっても個人的にこの学びが好きなんです。
そして、この本は、副題にもなっているように、キリスト教にたいする最も手強い反論をあげて、それをラビ・ザカライアスやウィリアム・レイン・クレイグなどの名だたるApologist、「キリスト教弁護者」たちにインタビューにぶつけてみるなかで、神の実在を証明していくとう本である。

私は、もともと頭でっかちというか、ある分野では、(あまり、普段はないのだが)頭で考えることに傾くことがる。
イエスは
「心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、あなたの神である主を愛せよ。」
マタイ22:37
を第一の戒めとしました。
だから、このような学びは決して聖書に反したことではないし、無駄でもないんですね。

でも、怖いのは、このことに傾倒しすぎることなんですよ。
あまりに、「頭でっかち」になって、神様との関係を深めることに目が向かなることです。

しかし、クレイグ博士のインタビューの最後の方のことばは、そんな僕に気づきを与えてくれました、
「神の実在を示す文献や科学的証拠はもちろん大切だし有効だけれど、私たちが神に差し向かいで会った場合、それは二次的要素になるのです。人間の心にいる聖霊が働いて、超自然的に神が自らを啓示したことの追認証拠に過ぎないのです。」

確かに、そうです!!!
僕がどれだけ知性で神を追い求めようと、神と私たちは霊の領域でしか交わることのできない関係にあるのですから、聖霊の働きがクリスチャンライフには不可欠なのです!!

僕も、この学びを進めるにあたって、もっと神との深い交わり、そして聖霊の働きを体験できるように求めていきたいと思いました。

1 comment:

  1. 僕も同時期、似たようなことを考えたけど、教会でこの間、学んだイエスの言葉で腹に落ちました。

    イエスが神だと信じられないユダヤ人に対して、イエスが応えたことばです。

    …しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」(ヨハネ10:37)

    言葉を聞いて信じるものは幸い(first best)、たとえそれで信じられなくてもイエスが行うわざを見て信じなさい。

    「ことば」or「体験(わざ)」で、人は神の存在を信じるのだと思います。それを取り成すのは、聖霊です。
    「神は真理」だとも聖書には書いてあります。神のことば・行いに真理があることは、聖書を開けば、聖霊が教えてくれます。
    求めるものは、神のわざ(聖霊の働き)を体験し、それによって信じることも出来ます。

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