Aug 4, 2010

祈ってみよう!

先のポストでも書いたように、今読んでいる本の1つはE.M.バウンズの「祈りは奉仕を生かす」という本です。(僕は並読する人なので)
彼の引用は、以前に一度やってて「祈りの人」だったことは知ってはいたのですが、協会の図書で彼の本を見つけて、本当胸が騒ぎました。牧師の勧めもあり、読むことにしました。

でも、本当に大正解でした。神の導きは本当に不思議です。
祈りについて、これまでもBlogでも、「もっと祈らないと」と言ってきたのですが、これほど祈りの生活を励まされることは、過去を振り返ってもなかなかない体験でしたし、これからもっと読み進めるのが楽しみです!

「神が人を扱われるとき、祈りほど重要なものはありません。しかし、祈ることは、人にとってもきわめて重要なことです。祈ることに失敗することは、人生全体に失敗することを意味します。(中略) 信仰者のいのちも、個人的救いも、クリスチャンとしての個人的恵みも、みな祈りの中に存在し、祈りの中に花開き、祈りの中に身を結びます。」

なんとうことでしょう!!「祈りに失敗することは、人生全体に失敗する」とは、本当に大胆な言葉ではないでしょうか。
では、この「失敗」とは何のことでしょうか?
それを考えるには「成功」について考えることをしなくてはいけません。
そして、その成功は、神の私たちに対する目的を達成することでしょう。
その目的は、私たちは神の栄光のためにつくらたといことではないでしょうか。これは、私の存在意義でもあります。

イエスは「地上で『実』を結ぶ」ように、弟子たち(もちろん、私にでもあります)に命じられました。(マタイ7、ルカ6)
また、イエスは有名な大宣教命令を、弟子たちに与えられました。(マタイ28)
これら全てのことは、神に栄光のためです。

思うに、
私たちが教会に日曜日に行くのは、そこで良い牧師がいるからでしょうか?
もちろん、それがあっても何も悪くないと思います。でも、それが第一義的な目的であったら、寂しくないでしょうか。もし、その日のメッセージがそんなにだったら?もしも、その日、牧師にちょっと嫌なことを言われたら?(もちろん、これは仮定の話なので、そこまで真剣にとらないで)
でも、教会に人々が神の栄光のために集まるなら、そこには愛の香りが溢れんばかりに漂うでしょう。そこには、手を上げ神にほめ歌を捧げる人たちがりるでしょう。そこには、聖書を通して語られる神の言葉に動かされる人がいるでしょう。そして、これらのことすべては神に栄光を帰するわけです。

このように、「神の栄光のため」という私の目的を、私が失うとき、忘れるとき、そのために働いていないとき、私は人生に失敗しているのです。
では、どうしたらそうならないようにすべきなのでしょう。
祈りは、私たちの心を神に向けます。そして、その神ご自身が私たちの求めているゴールなのです!!(“Am I Willing??”参照)

まあ、ここで色々、べらべらと思いを延々と並べることもできますが、
まずは祈ってみます!

ps: Sorry for English readers. This is a book written in Japanese, so it is more comfortable for me to write in Japanese. Hope you'll learn to read Japanese ;)

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