Jul 30, 2011

First Stop

Hi, there!! I left Japan for my five weeks trip about.... 12 hours ago. And now I am getting ready to board in Changi Airport in Singapore where I have been kept for layovers past 5 hours. This airport is neat. They had TV Lounge, free wifi almost everywhere, and ofcouse Starbucks Latte!! Oh, and I was very impressed by how clean the toilets are here. But one thing they are missing, wash-let. Here are some pics I took by my iphone Hope it shows ok. (Since this is my first post by my new app on iphone) Singapore Airline Changi Airport BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

Jul 21, 2011

J-O-Y

JOY
=
Jesus First
Others Second
You Last

I was listening to radio program called Searchlight by Pastor Jon Courson.
He was teaching through the Epistle to Philippians. And the title of message was "Joy".

This is one simple key to joy. I think it's popular acronym for many.
To me, it was not new either. I heard it long time ago, and I wholeheartedly agree to the idea.
But his teaching on Philippians 2:3-4 really impacted my life.
3 Let nothing be done through selfish ambition or conceit, but in lowliness of mind let each esteem others better than himself.4 Let each of you look out not only for his own interests, but also for the interests of others.
I think my big question was how can I have joy??? "Others Second" is great virtue, but doing good does not  bring my joy always. And I thought it'll make me legalistic.
God totally broke me through through his teaching.

Pastor Jon explained that "esteeming others" will bring you joy.
"Everybody is better, in some area, than I am. "
I think this is something I have had trouble with. 
I knew I need to be humble before God. But now I think it is very easy to be humble before God. Why?? Because you can not beat God in any realm and area. God is Almighty!! How can I not be humble before him.

But with others, I think I am so quick to try to find in what I am better than he or she is.
Because I don't like to feel inferior!!!
And the thing is I am good at it!!! (which is horrible in face.....)

But Pastor Jon used very brilliant example that when he met pro baseball player and how excited he was. Why he was exited?? Because the player was so much better than he was, and being and interacting with such person brought him great joy.

This made so much sense to me!
Every one is better than me at least one or two area, in fact in so many!!
and it is my privilege to find out what it is. And when I find it, it will be my joy to be with such person from whom I can glean wisdom or experience and so forth.

I don't have to be feeling inferior but, rather, I can rejoice when I find myself to be with people whom I esteem better than me!!
I am so excited to put this in practice and have the kind of JOY!!

Jul 19, 2011

心のケアセミナー

連投です。
先日、BGEA(ビリー・グラハム伝道協会)主催の、
「東北大地震被災者の心のケア」〜カウンセラー育成セミナー〜
というものに行ってまいりました。
(写真がなくて、残念ですが・・・)
*右の写真はイメージです。

一度しか東北地方には行ったことがなく、今後の予定も未定の状況でしたが、とても有意義な時間でした。
講師のボブ・ケンディック博士は、沖縄フランクリン・グラハム・フェスティバルのときにCC沖縄でのトレーニングクラスをされていた方で、あちらは私のことはしらないと思いますが、なんとなく懐かしくなりました。
また、通訳のテモテさんは、母と懇意にされている方で、こちらもまた親しみが持てました。
誰もしらないところだったので、なんとなく入りから助かりました^^;;

今回は、「トラウマ」についてかなり学ばさせてもらいました。
これまで、あまりこの分野については、体系的な学びをしたことがなく、全てが新鮮でした。
以下に、学んだことを少しだけ列挙します。

・トラウマのトリガーは何でも成り得ること、トラウマは生活のあらゆる面に影響を与える。
・トラウマがもたらすものとして「沈黙」、「孤独、孤立感」、「絶望感」がある。
・トラウマは悲嘆をもたらし、その悲嘆とは「激しい苦しみ、苦痛の感情」である。
・悲嘆は人の指紋のように、個人個人で全くその様相を異にする。
・考えうる感情的反応としては、感覚の麻痺、不眠や睡眠障害、アルコールや薬物への依存等がある。
・・・等々です。
そして、
これらの学問的な側面を学んだ上で、信仰の面の学びにつながったのはとても良い学びだと思いました。

では、私たちに何ができるのか?
・その人と一緒にいてあげる。または、祈る。
・一番その人が必要なもの、事について手伝う。
・箴言15:1「柔らかな答えは憤りを静める」
 理由を述べたり、合理的な意味付けをしようとせず、愛を持って話を聞き、今は苦難のとき だと分かってあげる。
・その人のために祈ることの許可を求める
等々でした。

そして、ケンディック博士はこの奉仕は取引ではなく、神からの賜物であることを知り、キリストを宣べ伝えるチャンスと捉えて奉仕するように勧めてくれました。

そして、最後にこの言葉をシェアしてくれました。
「とても苦しい時、希望や助けを見出すとするならば、
 希望そのものであられる方、神様の真実と確かさにこそ私たちの希望を託すべきです」

本当に心から同意できる言葉でした。
私にはどうしようもない状況に出会う時でさえ、神様は確かな方であられ、希望そのものなのです!!
その方が「行け」と言われるから、行きますし。自分では何も出来ないときにでも、神様が何かをしてくださるという期待を持てるのです。

今度いつに東北に行けるかは分かりませんが、この学びは必ず役に立つと思います。

このような機会を与えてくれたBGEAに、もちろん一番に神様に感謝です!

Already Won!!

Hi, there.
Sorry for not blogging such a long time.

This will be short but I will try to post more often from now.

I am STILL reading "Reason for God" by Timothy Keller and found this great quote which I really wanted to share with everyone.

This quote is in the chapter called "We can't trust the Bible Historically" in which pastor Keller talks about how we can find the credibility of the Bible.
There he quotes one historian's comment

(Dan Brown says) that the Emperor Constantine imposed a whole new interpretation on Christianity at the Council of Nicea in 325. That is, he decreed the belief in Jesus' divinity and suppressed all evidence of his humanity. This would mean Christianity won the religious competition in the Roman Empire by an exercise of power rather than by any attraction it exerted. In actual historical fact, the Church had won that competition long before that time, before it had any power, when it was still under sporadic persecution. If a historian were cynical, you would say Constantine chose Christianity because it had already won and he wanted to back a winner.
Yes!! Christ does not need political, academic or any human power back-ups.
He already overcome the grave and given us His victory!!

We are more than conqueror!!!

Nay, in all these things we are more than conquerors through him that loved us. 

人生の生き方

こんなにも間が空いてしまい、申し訳ないです!!

学校、アルバイトで忙しく、ブログをアップする時間が取れませんでした。
といよりも、取ってなかったというのが正しいかな。
なので、今は試験が近いですが、敢えて、時間をとって投稿します。

”「放蕩」する神”の続きです。
ケラー氏は、続いて人の人生のあり方について説明します。
「二人の息子=二つの生き方」です。
この二人の兄弟の話を通してイエスが表そうとしたのは、人が基本的に幸せや満足をどのように得ようとしているか、でした。
 人は皆、それぞれの生き方を持っています。そして、満たされたいと思っています。
ある人にとって自分を満たすものが、他の人にとっては真逆になることもありますが、結局は皆自分を何かで満たしたいと考えていることは共通しています。

「失われた二人の息子」は異なった生き方で、満たしを求めました。
兄は正しいことをすることで、弟は快楽・自由を得ることででした。
しかし、二人とも父親を拒絶しました。
弟は初めの段階で、父親の財産を持って出ていきました。
兄は弟が帰った後、父親に入るように言われた祝宴を拒否しました。
この二人の父親の拒絶は、彼らの生き方ゆえでした。

弟は快楽を得るために、父親のもとを離れました。
兄は、自分が正しいことをしているが故に、父の招きを拒みました。自分が正しいことをしているというプライドが壁を作っていたのです。

このことは、人が持つ罪のコアを表しています。
それは、人間の自己中心性です。
罪とは、単にルールを違反しただけにとどまらないからです。それは、自分自身を救い主、支配者、裁判官として、神の立場に置くことによるからです。二人の息子が、父親の権威をそれぞれのものに置き換えたように、です。
私たちは自分の人生は自分でコントロールしたい、善悪は自分が決めたい、自分にとって何が最善かは自分が一番知っていると思いたいのです。
私たちが自分自身の支配者、救い主になる方法は二つあります。一つはすべての道徳的基準を無視し、自分だけのコースを歩むこと、そしてもう一つは、すべての道徳的基準を守り、ただただ、品行方正な道に徹することを通してです。
私は何かしらの理由をつけて、この問題を避けていたことに気付かされました。
どれだけ、自分が兄の立場に近いかが怖いくらいに迫ってきました。
これまで、荒れた生活をしている人ほどイエスが必要だと思ってきました。しかし、そんな人も、逆に品行方正な人も、同じくらいにキリストを必要としているのだと教えられました。

最後にケラー氏が紹介した、有名なG.K.チェスタトンの話で今回は締めます。

ある新聞が、公開質問状をだしたことがありました。「この世界の何がまちがっているのだろう。」カトリック作家のG.K.チェスタトンは、このような簡潔な返信を出したことで有名です。「記者さま、私です。G.K.チェスタトン」。これこそ、イエスのメッセージの的を射た人の姿です。