もはや、言わずと知れたドラマ「半沢直樹」の原作です。
因みに、今回放送されたドラマは最初の2冊「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」が原作となっています。
(ニュースを見ていると、第三作もドラマor映画になるようですね。(^^)
まずは、初めの2作品。
ドラマでベーシックな部分を掴んでいたので、割りと簡単に読めました。
大きな違いといえば、半沢の同期が三人衆ではなく、四人衆であること。実家のネジ工場の融資を引き上げたのが、大和田常務ではないということくらいでしょうか。
(あ、最後の場面はかなり異なってましたね。(;・∀・))
後は概して、原作通りでした。
ドラマでもそうでしたが、この作品に惹かれる理由は、主人公半沢の歯に衣着せぬ物言いと、正義を遂行、悪を退治する姿なのではないでしょうか。
私も、そういった部分はすきです。ただ単にハッピーエンド好きと言われればそれまでですが・・・・
しかし、もう一つの魅力は、「サラリーマンって何なんだ」という問題的をする部分ではないでしょうか。
銀行というかなり特殊なセッティングではあるものの、上司と部下、人事と自分の希望、組織と個人という様々なよそが混ざり合いながらも、読者には中々客観視できない部分を見せているように感じます。
無論、私のような社会人二年目の小僧が、「すごい分かるよ!」なんて作品が少々ドラマタイズされていることを差し引いても言えません。
しかし、仕事に対する姿勢を見直す機会になったのかなとは思います。
ただ、私としてはもうちょっと銀行と金融業界を取り上げたのだから、もうちょっと金融ネタがあって勉強できると良いかななんて思いました。
そして、まだドラマ化されていない三作目「ロスジェネの逆襲」です。
これは、ヒットでした。
M&Aが仕組まれたこともあり、金融ネタも入っているだけでなく、前2作品では見えなかったものが見えるようになった作品です。
衝撃的な終わり方だった「花のバブル組」からの続きで、出向先での話になっています。
M&Aに関しては、やはり真山仁のハゲタカシリーズの方が詳細に書かれていて、スキームもとても興味深く勉強になるのですが、M&Aだけではなく、そこに池井戸作品にある、サラリーマンの正義という要素が入っていることが本作品を興味深いものとさせているのだと思います。
半沢が銀行一筋、しかも営業畑でキャリアを積んできたことを考えると、今回のような見事な買収防衛策を思いつくとは中々考えにくいですが、そこはヒーローなのでそうなるものはそうなのだと。
ただ、2点、これら三作品をまとめ挙げるような点に気付きました。
まずは、サラリーマンの生き様です。
これは、人としてではなく、サラリーマンという組織人という限られた世界での話です。
(仕事=人生ではないと個人的には信じていますが、やはり人生の大きな部分を占めるものですから、完全に切り離すことはできないのでしょうけれど。。。)
「人事が恐くてサラリーマンが務まるか」
という半沢直樹の言葉に集約されています。
一体仕事は何のためにやっているものなのか。人事という、ある種ブラックボックス化されている世界。その不明確さはやはり、ある程度怖い物があります。
しかし、人事と仕事を対比させることで、仕事の目的を問いかけているのではないでしょうか。
伊勢島ホテルのときにちらっと見えましたが、今回の証券会社ではアドバイザリーという本当に顧客第一が問われる仕事を与えることにより、半沢の仕事に対する姿勢・理念を上手く抽出して見せてくれた気がします。
その仕事を人事のために利用した登場人物がいたこともあり、半沢の正義感が全面に押し出されていました。
それが、このシリーズを痛快なものにした理由なのでしょう。
第二には、世代間ギャップです。
このシリーズには、「バブル組」と「ロスジェネ(ロスト・ジェネレーションの略)」、そして「団塊の世代」という3つの世代間のギャップが書かれている。
このことは、ロスジェネを読んでやっと気付きました。
バブルを盛り上げるだけ盛り上げ、尻拭いはバブル世代にさせるという、バブル世代がもっている団塊世代への嫌悪感。
バブルというだけで楽な人生を送ってきた反動で、不条理な世の中で生きるハメになったと考えるロスジェネ。
この世代間ギャップ、見えないながらも存在するものがとても上手く書かれている。
確かに、メディアがそうなのかは知らないが、やたら各世代に名前をつけたがるのは、古今東西同じように見える。
因みに、私の世代は「ゆとり世代」と「さとり世代」の過渡期くらいの世代なのでしょう。まあ、名前の通りあって、あまり世代間ギャップを意識して生きていない世代だと思います。
それだけに、今回見せられた世代間ギャップはとても新鮮でした。
ただ、半沢の訴えかけは、「世の中の矛盾や理不尽と戦え」という、そういった世代や組織のせいにして生きて行くのではなく、自分の力でそれは変えていけというものでした。
私ももしかすると、これから社会や会社の不条理・理不尽に直面するのかもしれません。
そのとき、半沢みたいに思えるのか。思いたいものです。
少し脱線しますが、今日ちらっと本やで読んだのですが、「世界のエリートはなぜ歩きながら本を読むのか」という本のなかに、ハーバード・ロースクールのトップ学生のインタビューがありました。マッキンゼーを辞め、ロースクール入り人だということです。マッキンゼーでも、ロースクールでも仕事・勉強量は圧倒的な量があると。その中で、平静を保つため、余裕を持てる理由は何かと問われた彼は『信仰心』だと答えました。
クリスチャンとしての信仰心が一番に彼を支えているのだと。
神は全てを見通している。肩書きや、成果、表面的な物で自分の価値が決まるわけではない。それを知っていることが、彼を支えているのだと言っていました。
私も彼のように、信仰によって(勿論、そこから生まれる成果によってでもですが)違いを作り出す人になりたいです。
それが、「どこに行かされるかは知らないが、行ったところでベストを尽くす」という半沢の言葉の私なりの適応です。
神がコントロールを握っているのだという確信と、そこには必ず目的があるという自覚によってクリスチャンとしてサラリーマンを生きたいと改めて思いました。