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Feb 11, 2014

「君に友だちはいらない」(瀧本哲史)


さて、最近このブログがもっぱら本についてばかりなのですが、今回もまだ続きます。

今回読んだのは、「君に友だちいらない」という瀧本哲史氏による本です。

まず、何故この本を選んだのか。

ズバリ、タイトルです!!!

引きこもり、根暗、コミ障、非社交的、、、、な私にこのタイトルが悲痛なくらいに響いてきました。
「え、それができれば、オレもこの世界でやってけるんじゃね?」なんてね。

しかし、そんな考えも序章で吹き飛ばされました。

最初の導入で本書の趣旨を説明している(これがある本はとても読みやすいので、助かる)のですが、そこで「今後グローバル化が進む社会においては、人/人材がコモディティ化してしまうことが予想される。そして、そのような危機に直面するとき、必要なのは単なる『友だち』ではなく、『仲間』なのだ」ということを述べています。

いやはや、早速希望を失う波乱の序幕でしたが、本章ではその「仲間」とは何か、どのように作るか、どのようにそれを活用していくのかということを説明しています。
その本章も確かに(自己中な)期待とは異なるものでしたが、中々為になるものだったかなという感想です。

そこで、例のごとく、印象的な部分を幾つか紹介していきます。

1.ルフィの幻影
「『ワンピース』で描かれる仲間は、ファンタジーの世界で生きる住人にとっては理想的な存在なのかもしれないが、現実にはありえない“虚像”なのだ。現実に生きるわれわれの前途は、『本物の資本主義』が猛威を振るい日一日と過酷になているというのに。」

これは、皮肉れたいいかなのように捉えられることができるかななと思いますが、リアルな世界ではワンピースはやってけないのは誰の目にも明らかなのかなとも思います。
さらにいうと、この「ワンピース」の解釈が「仲間とずっとやっていく」「ワンピースを得るまでは、誰も失わない」「どんな過酷な目にあっても決して死なないイモータルな存在」という前提にあるのですが、それが少しズレているかなと。

よくよく考えると、ワンピースを目指しているのは実はルフィだけで、各人は別の目的をもって参加しています。仮定の話ですが、もしもゾロが鷹の目ミホークを倒したら、果たしてルフィと行動を共にするでしょうか?疑問などないとは言い切れません。

ただ、ワンピースを一般に話すときにはこの「イモータルな仲間」がやたらフォーカスされる気がします。
これは、ある意味終身雇用の日本の企業に近いのかもしれません。
会社というイモータルな船に乗り込み、どんなことがあっても離れず、ずっといる仲間と困難を乗り越えていくからこそ、最後に何かが得られるという考えが重なる気がします。

人との関わりの希薄化が問題視されている最近だからこそ、この「仲間」意識がなにか羨望のような感覚をもって見られているのかなと思います。


2.チームアプローチ
「ダメなチーム(ありがちなチーム)では役職や年次で選抜されるが、よいチームはあくまで『何が出来るか』でメンバーが決まる。」

(;´∀`)…痛いなぁ
と思うばかりでした。

一体、仕事の先にあるのが何なのかということを見続けることがどれだけ難しいか、それを実感している最近だからこそ、この言葉が胸に突き刺さるように響きました。
特に何か、革命的なアイデアでもないし、ある意味普通なのですが、それでもです。

果たして自分が選ばれるのかと自問すると、自信がなくなるのが現実です。

「採用基準」でも類似したことがあったのですが、本当に人材としてマーケットに売り込めるようになるには、どのように・どのような仕事をすべきなのかをもっと考えなくてはならないと思います。

今自分がいる組織は少なからず、ミッション・メンバー選定・コミットメントを考えるとこの「ありがちなチーム」に当てはまるように感じます。

さあ、どうしたものかと悩むのですが。。。。。


3.「ぶちあげる」ことの持つ力
「最初に掲げるビジョンは大きれば大きいほどよい。と同時に、それは多くの人が共感できる普天的なものでなければならない。そのビジョンを常にチームの全員が念頭に置いて行動しなければならないし、簡単に変えるのはもってのほかだ。」

やはり、リーダーは夢を語っていなくてはならないのでしょう。
富士フィルムの古森氏が掲げた「第二の創業」を思い出しました。

それまで、コダックと画像フィルムの分野で競い・勝利してきた彼らが、化学や素材の分野に方向転換していくことは難しかったのではないでしょうか。
無論、それは単なる夢ではなく、ロジックの通ったものでしたから、浸透していったのでしょう。

ただ、何か組織を買えるときに「第二の創業」、「スマータープラネット」、「爆速」という何かのキャッチフレーズがあると、それは末端まで伝わります。
ただ、下にいけば行くほど、経営的なロジックが通用しなくなります。
しかし、そのビジョンは「普遍的なもの」でなけばならないのは、それが現場でも通用するからなのではないでしょうか。

「一体それを私はどう体現できるのか」、「自分がそのビジョンにどのように資することができるのか」ということを考えると、現場の活性化にもなり、組織にダイナミクスが生まれるのかなと。

ただ「我慢の年」や「収支が厳しいから、最大限の効率化を」「攻めのとき」などという、ビジョンというか先が見えないものをぶちあげられても、遠くから見ていると散っていく花火と何も変わりません。

これは、「巨象も踊る」というルイス・ガートナー元IBM社長の本を読んだ時から思うのですが、良いトップダウンなしには、ボトムアップは起きないのではないでしょうか。

日本の経営者にももっと大きなビジョンをぶちあげてもらいたいです。



以前の「採用基準」からのリンク出来ることも多くあった本でした。

そろそろガチで、今後のキャリアのありかたを考えなくてはいかんなぁ。。。。。










Jan 29, 2014

ブックレビュー:「原発ホワイトアウト」(若杉冽)


いやはや、とんでもない作品がでてきたものです。「原発ホワイトアウト」

ぶっちゃけ、ビビりました。

あまりにも身近なので、内容の詳細には触れず、感想をつらつらとタイプします。。。。

先の東日本大震災から、被災地の復興は少しづつ進んでいるようですが(勿論、福島等遅々として決まらないものも多いと思いますが)、中々表立って取り上げられないのが「電力システム改革」です。

(いちおう、こんな形で報告書は出ています。)

テレビでも取り上げられていました。

著者が現役キャリア官僚だというからとても興味深い。
そして、読んでいる限り、かなり内部にいる人の告発のように思える。

電力システムというのは、批判の対象にはなれど、中々取り上げられない。
私が着目したいのは、このシステムよりも、このシステム周辺に住む人々である。

「原価総括方式」を、単価の決め方がある番組では「電力モンスター・システム」と呼んでいた。ただ、「原価総括方式」というのは、電気事業に係る原価を全てひっくるめた上で、「一定水準の利益」を確保できる単価・価格を設定すること。
とまあ、考えて見ればこんなこと、どの会社もやっていること。

製品の価格は、それにかかった研究開発費・原材料費・輸送費・販促費・人件費等々を加味して決まるわけです。それと同じように、電気も配電費・発電費・営業費等を基に単価の算定を行います。

私が本作の中で注目したものは、その収益方式から生まれる「トレント」に群がる人がいるということです。これが先述した「一定水準の利益」なのですが。(この事業報酬を業界ではベータ値と呼んで、システムではかなり厳しく評価・監視されています。)

ここで注目すべきは、「日本電力連盟」とモデルばればれの組織です。
そこの常務理事のロビー活動というか、政治活動が生々しい。
落選議員への計らいをもって、将来の御用議員を確保する。
そして、監督省庁の役人への便宜、出身会社への指示等々によって進める原発再稼働。
もう、これは政治組織かって言うほどの力があるんじゃないでしょうか。

その上で、各電力には例えば関東電力には「東栄会」なるものを組織させ、会社としてではなく、その財団組織を通すことで、関係会社・協力会社まで巻き込んだ資金力をバックに、政治活動ができるようになっている。

そして、これらの組織の目的は、既得権益の確保。

本当にそれが事実なら由々しきことです。

原発再稼働については、エネルギー問題として思うところはあります。
ただ、このシステム改革と既得権益については、完全におかしい。

そもそも、電力ビジネスはその公益性の高さ故に地域独占が認められてきたわけです。また、それだけではなく、過去に電力事業へ投資してきたのが官ではなく、民間によってなされていたこともあります。
なので、「地域独占は間違っている」という議論は稚拙で論外。

問題の確信は、国民が電力事業をどう見るかにかかっていると思います。

これを通信事業(電話通信が分かりやすい)と同列で考えるならば、独占状態は誤りです。そして、しっかりと自由化を推進すべきでしょう。

しかし、ライフラインとして見るなら話は簡単ではありません。

税金で賄われているなら、問題なく公共事業なのですが、実際はそうではなく民間のビジネスとして確立されている。
この民間が担う公共ビジネスは、非常に繊細な制度設計を要するのです。事実、いまでも電力システム改革の制度設計ワーキンググループにおいて、今度の進め方が議論されています。

しかし、この制度設計が悪用されているというのが、著者の主張ではないでしょうか。

ビジネスを担うものとして忘れてはいけないのが、それが誰のためかというもの。
これは電力ビジネスに限ったことではありません。

先の金融危機は「クライアント第一」と標榜していた投資銀行がいつの間にか、自社の利益のためにクライアントを食っていたことを明らかにしました。

エンロンもエネルギー事業以外の投資によって利益をあげようとしたばかりに、失敗。

健全なビジネスは、本業を地道に守りぬくこと。
そして、その本業とは何かを見極め続けることにあるのではないでしょうか。

この電力ビジネスが生み出す「トレント」を本作は一種の麻薬のようなものと表現しています。システムに組み込まれると、もう抜け出せないのです。
そこには、あまりに多くの人が入っている。まさに、「大きすぎて潰せない」ものの一つなのかもしれないです。

しかし、霞ヶ関の中にも古賀茂明を良識派として慕う「隠れキリシタン」がいると著者が言うように、電力業界内にも本気でお客様のことを考え、働いている人は多くいると思う。
その力がいま必要なのかもしれません。
一体何が、国民、お客さまのためなのか。それを追求していく先に、健全な市場が形成され、そこから健全なビジネスモデルが生まれると思うのです。

本作品を読んで電力業界を断罪できることは簡単でしょう。しかし、本質的な問題をこれを通して見ることができればなと思います。






Dec 21, 2013

「採用基準」× ミニストリー 的な・・・

久々のブックレビューです。
(「グリード」シリーズはまた後ほど www)


「ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶ  ベスト経営書2013の結果発表」
でも2位に選ばれました、伊賀泰代氏の本「採用基準」。

沖縄ですら(ビジネス書とは関係が薄い書店ばかりなので・・・)、この本をよく見かけていたので、本に関しては反ミーハーな私は抵抗感バリバリでした。
ただ、社会人二年目でなんとなくキャリアステップについて考えだしていたので、「こんなに評判名なら」ということで、購入してみました。

結論。

「この本読まなきゃ、損をする」

というレベルです。
こんな、ビジネス書に出会ったのは、本当に久しぶりです。
以下、社会人二年目の生意気小僧がめっちゃ生意気にもこれまでの経験を踏まえて、感想を綴ります。
そして、下段にはこれとミニストリーの関係についても記述してみました。

この本の著者の伊賀泰代さんですが、一橋卒(親近感)→日興証券(女性で?)→UCバークレーでMBA(まじ!?)→マッキンゼー(ここでエンゲージメント・マネージャーまで上がった後、採用マネージャーへと転身)という経歴だそうです。
彼女の時代の一橋とか、全学の1割くらいしか女性がいなかったんじゃないかというレベルなので、私とはまったく異次元のレベルにいるんでしょう。

ただ、この本のストーリーは非常に地に足の着いたものでした。
「採用基準」ということなので、彼女のマッキンゼーでの採用経験からの経験が多く含まれた内容となっていて、どのような人材を採用していたかが主なテーマとなっています。
ただ読んで気付くのは、「採用基準」という『採用』に特化している本ではなく、どちらかというと「日本人とリーダーシップ」といった内容になっています。

「実はマッキンゼーが求める人材は、今の日本社会が必要としている人材とはまったく同じです。まさか多くの人が『これからの日本には地頭のよい人が必要だ』と考えているわけではないでしょう。同様にマッキンゼーも、地頭が良ければ採用したい、と考えているわけではないのです。」

このように、マッキンゼーが欲しいと思っている人材は、これからの日本にも求められる人材という前提にたっての話になっています。なので、マッキンゼーの話ばかりですが(本人もあとがきにそれに関して言及して、だからといってマッキンゼーが完璧ではないということも言っています・・)、それが引いては社会に求められる人材だと。

日本では、本来、成果目標を問うべき状況であるにも関わらず、その目標が明確にされないために、みんなが“和”を優先し、誰もリーダーシップを発揮しないことがよく起こります。
分かりやすい日本の「ことなかれ主義」(FacebookでもMiyukiさんにコメント頂きましたが)の代表です。
実際、あるんです。

他部署の判断に口を出さない人たちは、組織の和や組織の秩序を、ビジネス上の利益最大化という成果目標より優先しています。こういった職場では、リーダーは必要とされません。全員が空気を読んで、「他部署のことは他部署の人に任せておこう」という思考停止を選択するからです。
ということが。

ここの決定的な問題点は「思考停止」ということなのではないでしょうか。無論、そこで問題を認識しているから、そこまでは思考が及んでいるわけです。ただ、それ以上踏み込もうとする思考がない。これが自分にも当てはまり、かなりドキッとしました。
リーダーには与えられた数値を達成するという単純な仕事(これはマネージャーの仕事)を超えたところにある、「より高いゴールを設定する」ということが求められると。
自分が二年目になって、ひと通り仕事を覚えてしまって倦怠感を感じることがあったのですが、それは自分が与えられた仕事をただ実行するエクスキューターになっていたからなのでしょう。

組織も個人も、ただただ上からの変化に対応していくだけになってしまうと、レベルアップは望めないということです。
成長する組織・個人は「さらなる高み」を目指していないといけない。
それには、上からの変化、周りの変化も利用してもよいのではないでしょうか。
とにかく、今年の反省は「自分の仕事を覚える」という目標達成に満足してしまったことです。

成長の頭打ち感を感じながら働いている人は、その間、チャレンジングな仕事をしていません。必死に挑戦しなければ達成できない仕事ではなく、粛々とこなしていばできるレベルの仕事をしています。こういう仕事を一定期間以上続けることは、さまざまな形でその人の可能性を減じてしまいます。

では、目指すべき高みとはどのようなものでしょうか。
目標を掲げ、先頭に立って進み、良く道の要所要所で決断を下し、常にメンバーに語り続ける、これがリーダーに求められている四つのタスクなのです。
目標を掲げる・決断を下すということは、なんとなく受け入れやすいものでした。しかし、「先頭に立って進む」「常にメンバーに語り続ける」ということは、あまりリーダーシップと結びつかないのではないでしょうか。とくに後者の方は。

組織に必要なものはビジョンなのではないでしょうか。
トップダウンとボトムアップは二律背反のように思われるかも知れないですが、実は前者があるから後者が存在すると思うのです。
もしも、ボトムアップがある組織は、その環境をトップダウンで作り出しているからなのではないか。トップダウンがないボトムアップはただの反抗的集団と思われてもしょうがないのかと。

それでも、どうしてもリーダーシップは私とは程遠いように感じていました。しかし、伊賀氏はそこにも斬り込んでくれています。
チーム内にリーダーが複数いることは決してマイナスではありません。むしろ全メンバーがリーダーとしての自覚をもって活動するチームは、「一人がリーダー、その他はみんなフォロアー」というチームより、明らかに高いせいかを出すことができます。
私にかけていたのは、自分にもリーダーシップが必要だということだったのです。
これまで組織と個人を並列に書いているのは、そのためです。

そして、そのリーダーシップの訓練の場は、あらゆる場面で求められいるのだと。
伊賀氏が挙げたのは、電車事故によってできたタクシーへの列です。
多くの人が時間に遅れてタクシーを待っているような状況でも、秩序正しく一人一人タクシーに乗って行く。これは、日本人の素晴らしいところと良く言われます。確かにそうでしょう。しかし、そこで一人が「私は〇〇方面へ行きます。一緒に乗りたい方、いらっしゃいますか?」と声をかけられれば、料金も安くなり、待ち時間を節約でき、少しでも早く目的地にと着することに役立つのですが、誰もそれを行わないということです。

「(;・∀・)ハッ」とさせられました。
本当にそのとおりなのだと。
現状に満足して、それ以上を求めず、気づいても合理化して勝手納得している自分。
それでは何もよくならないし、変化しません。

リーダーシップは、これからの世界を生き抜く人たちのパスポートです。組織とは、所属し、守ってもらうものではなく、率いるものになるのです。

とういことを自覚し続けねばならないと。


そして、ミニストリーにこの「リーダーシップ論」を誤解を恐れず持ち込んでみます。

ミニストリーの現場においてもリーダーシップは必要なのではないかと。
勿論、「従う」ということは大切であり、ミニストリーにおいてはキーとなることです。
しかし、「従う」ことと「リーダーシップ」は両立すべきなのです。

この本でもリーダーはただグイグイ率いるのではなく、他人の意見が正しければ目的達成のためにそれを採用することができる人だと述べられています。

聖書に従ったミニストリーは、必ず従順を求められます。
ただ、聖書言う信仰が盲目的信仰なのではないのと同様に、この従順も絶対服従ではないということです。(此処での従順は人との関係の中での話しに限定)

例えば、ふとしたことで「こうしたらもっと良いのに」とか「これができればもっと効果的にミニストリーできるんじゃないか」と気づいたことがある人は多いのではないでしょうか。

そこで、それについて何か行動を起こせるリーダーシップが発揮されるのです。
私も「でもリーダーの人が決めてくれるはずだから、黙っておこう」と思っていることが多いのです。そして、それを従順になっていると決めつけていました。

しかし、そうのなのではなく。「果たして本当にそうするべきなのか」「では、どのような行動が取れるのか」「どうアプローチすると良いのか」ということを、祈り・考え抜くことが求められているように思います。

全てをリーダーというタイトルの付いたごく限られたグループに任せてしまう教会は危ないように感じます。
みなが、オウナーシップをもち、「自分がミニストリーに何ができるのだろう」と考えているミニストリーはもっと成長すると思います。
無論、そこには今続けていることを守るということ。特に、聖書の教えはそれなのですが、保守的になるべき部分は間違えなく有ります。

また「常にメンバーに語り続ける」ということは、ビジョンを伝えるリーダーなのでしょう。最近読んだ使徒の働き2章でペテロが引用するヨエルの預言『青年は幻を見て、老人は夢をみる』について、J.C.モルガン氏は「我々が恐れるべきは聖霊の導きに鈍感になり、幻も夢も見れなくなることだ」と述べていました。

その通りで、ミニストリーにはビジョンが必要なのだと。
それして、それを私たちはともに祈り、みことばを学ぶ中で求めていく必要があるのだと感じました。

仕事+ミニストリー においてもリーダーシップ、本当に身につけたいスキルです。



Jul 31, 2013

「会社蘇生」高杉良


そろそろ、金融系以外のものにも挑戦してみたいと思い購入。
(Amazonで見つけました。。。)

時代は昭和60年代、会社更生法が表舞台に出てき始めた頃かと思います。
主人公は弁護士である宮野。彼が管財人として小川商会という戦後3番目に大きな負債を抱えて倒産した会社を、更生開始決定・復活まで導くまでのストーリーを描いている。

どうやら、これはかなり実話に基づいた話のよう。
小川商会は大沢商会、管財人は三宅省三、スポンサーとして登場する西北グループは西武グループといった具合に現実とリンクしている。

管財人という言葉すら聞いたことがなかった私には、かなり勉強になった。

素人頭で不思議に思っていたのだが、何故倒産した会社の名前であったり、商品がそれまでと変わらず流通しているのかという疑問が解決できた。
会社更生法適応までの過程は、実務的に見てとても面白い。
宮野と彼のチームの努力、破産という憂き目にあっても頑張り続ける社員の姿は頑張ろうという思いにさせてくれる。
そして、更生開始が決まったときは、読んでいる私までも達成感を感じてしまった。

驚いたのは、弁護士である管財人が経営者(のように)として破産した会社の再生に携わることである。「宮野先生は弁護士にしておくにはもったいない」と作品のセリフにもあるが、まるで敏腕社長のようであった。
また、交渉の場面も勉強になる。駆け引き、会話の運び方等は小説であるのだが、参考にしたいと思うほどである。

と、ここまで良い点だが、残念な点も幾つか。
ストーリー性に乏しい内容にもなっている。人の葛藤であったり、抱えている過去等のしとりした部分がなかった。また、サプライズ的な展開もなく、ビジネスを粛々と遂行しているようにも取れる。
この部分がもっと良ければ、のめり込むこともできたのかもだが。そこまでは至らなかった。

ただ、会社更生法について、簡単に勉強できる本ではあると思う。

Jun 8, 2013

赤い三日月(黒木亮)

ブックレビューです。


またもや黒木亮作品。
もはや、中毒気味かもしれません。ただ、今回のは巨大投資銀行以来の(小説としては)良作だったのではと思います。

主人公は東西銀行の但馬。(東西銀行は東京銀行を模していると思われる。)
ロンドン支社にてトルコ担当として、ソブリン債を主に扱っている。
時代は1990年前後。まだまだ、トルコが発展途上の時期で、さらに湾岸戦争も場面に含まれている。

これまでの黒木作品に見られがちだったのだが、異なるストーリーが展開していて、結局最後まで交差することがないという展開には今回はならなかった。
直接の交差が起こらないものもあるが、最終的に府に落ちる感じに仕上がっている。

国際協調融資団(シ・ローン)の組成から、国家の資金調達、米国の格付機関や財務省、IMFなどが登場し、国際金融というムズカしい話になるが、素人の私でも分かりやすく書かれている。
また、トルコの情景描写が多く含まれており、旅行した気分にもなれる。(と同時に、トルコに行きたくなった)

印象に残った点を幾つか、感想を含めつつ書きたい。

まずは、主人公の但馬への共感があった。同期入行の中でも飛び抜けて出来る行員ではなく、将来を有望されている同期の背中を追うように、または離されないようしがみついていくため、社内評価を気にかけている但馬と、国家のファイナンスに関わるビジネスをしているという責任感で必至にディールを成立させようとする但馬という、二面性に共感を感じた。
自らの信念と、それに待ったをかける自分の別の欲望。
この2の間で葛藤するのは、サラリーマンには良くあるのではないか。
それでも信念を選び取るところに、大きな勇気を受けた。

更に、トルコの財務貿易庁のエンヴェル女史は主要人物の一人。
名だたる投資銀行を相手に、交渉を進めながら、国家のファイナンスを支える。
彼女と但馬ら銀行方の駆け引きは、読んでいて、非常に臨場感があった。(ただ、もっと会話に量があっても良いのかなと思うことろもある。。。。)
マンデートを獲得する側の物語は、巨大投資銀行で読んだが、こちらは与える側の視点も与えてくれた。

特に、市場における国家の信用の意味するところを垣間見ることができた。
一度の失敗でも、それが後の調達に与える影響を考えること。また、シ・ローンの組成に対する銀行の実力を見極めながら、フィーの交渉を行うというのは、国家といえども調達に(特にトルコのような新興国は)対して大きな労苦を費やしていることを本書を通して知った。
時を見極める力、そしてプランをエクスキューズションする力、その2つが無ければ、どれだけ優れたビジョンを持っていても、何も起こらず終わるのではないだろうか。


主人公・但馬の不器用ながらも、信を重んじ、整然と理論で物事を進める姿に、前述の共感だけでなく、個人的な憧れを感じる。

徹底的に、自分のやり方で、組織の不条理さに立ち向かうこと、それを私できたらと思う。組織内で器用な人はそれで良いと思う。ただ、不器用を自覚している私としては、武器は論理にしたい(勝手にではあるが)と強く思う。

個人として、これまでで一番鼓舞された黒木作品であった。

Apr 30, 2013

「獅子のごとく」黒木亮


またもや、ブックレビュー(書評)になります。
(すんません。最近、本ばかりよんでるもので・・・・・・)

これは、多分「巨大投資銀行」と「トップレフト」に続く3つ目の黒木亮作品になります。(「エネルギー」も読みましたが、金融系ではないので、ここでは触れません。)

内容としては、主人公の逢坂(多分、ゴールドマン日本法人の社長持田氏がモデル)が自分の家族の商売・家を取り上げた東都銀行への復讐の執念で、エイブラハム・ブラザーズという外資投資銀行でパートナーまで登りつめていくというストーリー。
顧客を接待漬けにし、違法ぎりぎりの行為をも厭わず行い、ディールを獲得し、着々とj自らの地位を固め、敵は徹底的に排除していく姿はまさに「獅子」そのもの。

一見華やかな世界の投資銀行というビジネスですが、(日本が特殊なのかは分からないですが)かなり泥汚い現場が書かれています。といっても、これはネットで見ると、ある程度からは誇張されている感じがあるようですが。。。

感想としては、ちょっと寂しい感じがしました。
というのも、エンディングも「えっ、これでいいの?」と思わせるようなものでしたし、内容的にも前に読んだ二作品と比べると、薄い感じがしました。
「薄い」というのは、勉強できる箇所が少なく、人間ドラマの面がかなり強くなっています。
個人的ですが、こういったビジネス小説的なものに、自分の知らない世界のことを勉強させて欲しいという期待感を持ってるんです。そして、「巨大投資銀行」なんかはそういった側面も多く持っていましたから、同様の期待感でこの作品を読んでしまったのが行けなかったかもしれません・・・・・・

もっと、こうシ団の組成の過程とか、ネゴシエーションの現場、金融商品のカラクリ的な部分などを見せて欲しかった。
週刊雑誌的な面が多く、知的には満足とまではいきませんでした。

ただ、これさえ読んでいれば、就活期にあんなに外資のIBとか受けなかったのにと後悔。むしろ最近は、トレーダーの方が自分にはあってたななんて、夢を見てます。

Apr 28, 2013

「地熱が日本を救う」真山仁


今回は、連続になる真山仁の作品、「地熱が日本を救う」です。

タイトルの通り、地熱発電についての新書になります。
以前に小説「マグマ」(ドラマ化もされましたね)で地熱を扱って以来の、電力についての作品になります。

さて、結論からすると、「マグマ」を読んでいれば十分です!!

初めて、若干ではありますが、真山さんの作品で残念な思いをしました。
(そもそも新書なので、小説と同じ期待はしない方が良かったのかもしれません。)

ただ、内容的にあまり訴えかけてくるものがありませんでした。

地熱が日の目を見ない時代→原子力の台頭→新エネに注目/ただし地熱は無視される
→原子力ルネッサンス→震災→地熱のチャンス到来
という時代を追っていくわけですが。
正直、(極めて個人的ですが)こんなことは、分かりきったことでした。

所々、豆知識が入っていて、勉強にはなりましたが、もっとこう真山さんの主張を入れ込んで欲しかったという感じです。
更に欲を言えば、もっと深い取材を通しての視点、論点が欲しかった。
地熱に関しての一般論に終始してしまった感じでした。
地熱の抱える問題で、天然記念公園や温泉組合などは、知らないほうが勉強不足。(勿論、その勉強のために書いているので、的はずれな批判なのですが・・・)

個人的には、地熱に対してまだ懐疑的な方だと思っています。
地熱は再生可能エネルギーの中で唯一、安定供給が可能で、ベース電源となりうる。そして、コジェネの観点からも、かなりの効率を持っている。そして、なんといっても日本は、世界でもトップレベルの地熱量を持っている。
以上が真山さんの主張です。
その通りなのですが、やはりコストがネックなのかと思います。
プロジェクト年数と発電容量を考えると、どうしても地熱よりも太陽光や風力が魅力的に映ってしまうと思います。

私は、原子力と同じように、地熱に関しては、官がもっと積極的に関わっていくべきではないかと思います。
勿論、再生可能エネルギー固定価格買取制度は地熱の買取単価を高めに設定し、民間の投資を促すというものになっていると思います。ただ、プロジェクトの規模が企業にとってはまだまだ魅力的ではないのかと思います。
10万キロワットそこらの容量では、もちろん水力や太陽光に比べ、その安定性を鑑みると、素晴らしい電源だなと思います。
ただ、10万キロワットをプロジェクト単位で見たときに、IRRは約13%に設定されている。確かにこれは、他の単価設定よりも高め。
しかしですよ、如何せん太陽光と比べ動き出しているプロジェクト数が違うのです。それはやはり、プロジェクトとして、投資対象としての魅力に欠けているとうことなのではないでしょうか。

なので、むしろ政府系ファンドであったりが、イニシアチブを取ってプロジェクトを組成していくべきではないかと思う。プロジェクトファイナンスの例は太陽光では既にあるわけで、年金とかも動かせるなら、かなり可能性はあると思います。

結論からすると、皆さん「マグマ」の方が面白いですよ!!!

Mar 19, 2013

ブック・レビュー「黙示」真山仁


読んだ本を頭の中にある程度定着させるには、書くこと!らしい。
ということは、ブログにすることでもオッケーじゃないか!?
ということで、そろそろ、自分の為にもブックレビューをブログでもどんどんやっていきたいと思います。
と言っても、これまでも読んだ本からシェアしてきましたから、特に真新しいものではないですけどね・・・・・

さて、今回は真山仁の「黙示」。
ハゲタカから真山さんの本はほとんど読んできました。
そして、こちらの新刊も、予約注文、即ゲット!!

こちら、たまたまこの前に読んでいた短篇集「プライド」の一作の続きとなっている。(そいういった情報は見当たらないのだが、登場人物からいっても間違えない)
テーマは、日本農業。
農薬、GMO(GM作物)、TPP等のかなりタイムリーなトピックが扱われている。

食糧自給率が非常に低い国、日本。(そもそも、この「食糧自給率」にも色んなカラクリがあるのだが・・・)
そんな日本がどのように自国民のための食糧を確保していくかは、人口増加が止まらない世界にあって死活問題であることには間違えない。(資源にも同じことが言える。)
しかし、私の様な一般市民は、あまり正確な情報を持っていないのが事実。
その上に、「奥様迎合型」のメディアに踊らされ、正義感に満ちた、偏った見方を身につけてしまう。

主人公の平井は、農薬製造会社の研究員なのだが、ひょんな事からCSR室長へと移動になる。そこで、研究者だからこそ知っている農薬の安全性と危険性の間で葛藤する。
同じく、養蜂家の代田も、農薬反対の旗手として担ぎ上げられながら、農薬なしの農業など可能なのかという考えと葛藤しながら、共存への道を模索し始めるのである。

また、農水省キャリアである秋田は、世界が「密かに」直面している食糧危機を目の当たりにする。輸入に大きく依存している日本の食糧は、輸入がストップすることを想像できない。しかし、秋田が見たものは、まさにそれがあり得るどころか、「いつに起こるのか」という問題であった。

そして、最後にはGMO(遺伝子組み換え作物)への話は展開していく。

個人的には、平井と代田の葛藤がとても分かるような気持ちがした。
理想と現実の間というと、あまりにも陳腐であるが、その大切さに目を向ける人は少ないのではないだろうか。
前述した「奥様迎合型」という言葉は私が勝手に作ったのだが、代田の周りにもそいう登場人物が描かれている。とにかく、正義感あふれる感じの報道をグイグイ押していくメディアは今でもあるのではないか。お茶の間の奥様たちは、お昼のニュースなどでこういった報道を見て、ネットで調べ、あたかも世の中の不条理を暴いてやったという感覚になる。
まあ、言い過ぎかもしれないが、そういった報道には気をつけたい。

話が逸れてしまったが、「理想と現実」は冷静に現実を見ているからこそ起こることではないかと思う。メリットとデメリットを世の中の殆どの物事は持っている。全てが悪のものなど、淘汰されていく(と信じたい。)
しかし、何かしらのゴールに向かわないことには、単なる煩悩で終わってしまう。そうならないためにも、情報の収集・取捨選択・整理が大切なのだろう。

日本の農業には何が必要なのか。
本作品が答えを提示していると思ってはいけない。
飽くまで、問題提起だろう。実際に、本の終わり方もそのようになっている。

我々日本人は、本気になって今後の国家のあり方について考えないといけないのではないか。
エネルギー資源は電力問題もあり、かなりの注目を集めている。
しかし、人間に直接のエネルギーを供給する食糧の問題は見過ごされがちである。
この問題へもっと目を向け、冷静に判断できる力をつけていく必要を強く感じた。

もう一点感じたことは、「官僚は国の土となれ」という言葉である。
最近、仕事上でも官僚の力の大きさというものを感じている。
そして、それは彼らが持っているポテンシャルということも言えるのかと。
秋田に与えられたこの訓示は、本当にキャリア官僚の方々には持っていて欲しい。
一般市民には見られないが、彼らの仕事なしには、本当に国は回らない。
結局、テレビで物事を成し遂げている人というのは、かなりの部分で官僚によって支えられている。陽の目を見ないが、それでも社会では大きな権限をもっているし、社会の仕組みを作っているのは彼らなのだから。

私自身何ができるかということも、今後もっと問わなくてはと思わされた。

やはり、真山作品は深いな。